「Anema e core/With All My Heart and Soul」とは? わかりやすく解説

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「Anema e core/With All My Heart and Soul」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/13 06:03 UTC 版)

アネマ・エ・コーレ」の記事における「「Anema e core/With All My Heart and Soul」」の解説

上記のものとは異な英語の歌詞が、マニー・カーティス(英語版)とハリー・アクスト(英語版)によって書かれた。このバージョンは、イタリア語曲名のままで録音されることも、英語で「With All My Heart and Soul」という曲名録音されることもあった。 1953年には、ブロードウェイミュージカルJohn Murray Anderson's Almanac』で取り上げられカーティスアクスト改め新たな歌詞書いた。 このバージョン最大ヒットとなったのは、1954年エディ・フィッシャー盤で、ヒューゴ・ウィンターハルター(英語版)の楽団合唱団とともにニューヨークのマンハッタン・センター(英語版)で1954年2月11日録音したものであった。このレコードは、アメリカ合衆国では、RCAビクター・レコードからカタログ番号 20-5675 の78回転盤として、またカタログ番号 47-5675の45回転シングルとしてリリースされた。また、His Master's Voice レーベルEA 4167、および、(S) X 7981 としてもリリースされた。米国盤は、1954年3月31日付『ビルボード』誌の「ベスト・セラー (Best Seller)」チャート初登場し、14チャートとどまり、最高14位まで上昇した。『キャッシュボックス』誌の「ベスト・セリング・レコード (Best-Selling Records)」のチャートでも、同じ年に最高12位を記録したヴィック・ダモーンは、1958年アルバムAngela Mia』にこの曲を収録した。 ジェリー・ベール(英語版)は、1963年アルバムArrivederci, Roma』にこの曲を収録したペリー・コモも同じ曲名1951年録音しているが、作者クレジットはラリー・ストック(英語版)とされていた。コモは、この曲を「Anema e core」として1966年アルバムイタリアの思い出 (Perry Como In Italy)』に収録したコニー・フランシスによる録音のひとつは、大部分イタリア語歌詞歌われているが、部分的にカーティスアクスト歌詞歌われている。 マイケル・ブーブレは、2002年アルバムDream』にこの曲を収録した

※この「「Anema e core/With All My Heart and Soul」」の解説は、「アネマ・エ・コーレ」の解説の一部です。
「「Anema e core/With All My Heart and Soul」」を含む「アネマ・エ・コーレ」の記事については、「アネマ・エ・コーレ」の概要を参照ください。

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