「順正寮跡」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 02:43 UTC 版)
岡山県初の女学校である順正女学校は、1881年(明治14年)に福西志計子が開いた女紅場(裁縫所)が発展した女学校である。建物は1895年(明治28年)11月に竣工し、1896年(明治29年)3月28日に順正女学校の新校舎として使用を開始した。この建物は岡山県初の女学校舎である。順正女学校は岡山県内外から女学生を集めていたが、寄宿生が増加したことで校舎から女子寮に転用された。 1921年(大正10年)には順正女学校が岡山県に移管されて岡山県順正高等女学校となっている。1949年(昭和24年)には統合されて岡山県立高梁高等学校となり、伊賀町分校の校舎として使用された。1953年(昭和28年)から1970年(昭和45年)には高梁町立図書館、高梁市図書館として使用されたとされる。1959年(昭和34年)3月27日、岡山県指定史跡となった。 1967年(昭和42年)に順正短期大学が開設された折、当時の所有者だった高梁市が建物を学校法人順正学園に寄贈し、順正短期大学では図書館として使用されていたともされる。その後は教員の研究室などとして使用されたが、近年には老朽化から立ち入り制限がなされていた。
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