「葉赫那拉の呪い」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 04:18 UTC 版)
西太后に関連して語られる「葉赫那拉の呪い」の物語は、大略で以下のようなものである。 ヌルハチに激しく抵抗した末にとうとう併合されてしまったイェへ部の最後の首長、金臺吉(ギンタイジ)は、臨終に際して、ヌルハチに対して「清朝の一族にたとえ女一人でも葉赫那拉の人間が加われば、そのものがおまえ(ヌルハチ)の一族を滅ぼすであろう」と呪いの言葉を遺して死んだ。清朝はこの呪いを言い伝えて、決して葉赫那拉氏の女を后妃にしないという掟が守られ続けた。ところが清末の咸豊帝が掟を破って葉赫那拉氏の女を妃にした。はたして葉赫那拉氏は咸豊帝の死後に西太后となって権力をほしいままにし、ついに清を滅ぼしてしまったのである。 上の伝説は、伝わり方によって細部に異同はあるものの非常に有名なものであり、中国・香港合作映画『西太后』(日本公開:1985年)や浅田次郎の小説『蒼穹の昴』などの創作のみならず、濱久雄『西太后』(1984年)などの評伝でも、歴史的事実として引用されている。 しかしながら、イェヘ部が滅ぶときに「葉赫那拉の呪い」がかけられたという物語は、清朝の公式の記録や正統的な歴史書には見えず、民間の俗書に載っているにすぎない。また既述のように、西太后まで葉赫那拉氏の后妃が現れなかったというのは明らかに誤謬である。従って、今日の中国の歴史学界では、これは作り話にすぎないという見解が定説となっている。 そもそも、もし「葉赫那拉の呪い」の伝説が本当であり、また19世紀当時に信じられていたならば、西太后が権力を掌握する過程で、政敵であった粛順らがその伝説を利用して西太后を誹謗し攻撃することも可能であったはずであるが、そのような事実はない。「葉赫那拉の呪い」という伝説は、西太后が権力を握ってからのち、彼女を憎む人々の心が広めた噂に過ぎない、と考えるほうが自然であろう。
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