「百済観音」という名称とは? わかりやすく解説

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「百済観音」という名称

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 04:36 UTC 版)

百済観音」の記事における「「百済観音」という名称」の解説

近世から明治時代まで、法隆寺ではこの像を観音ではなく虚空蔵菩薩」と呼んでいた。これは虚空蔵菩薩聖徳太子本地とする信仰に基づくものと思われる明治19年1886年)、宮内省内務省文部省による法隆寺宝物調査実施された際の目録には「朝鮮観音」とあり、この頃からこの像を「観音」と見なす説のあったことがわかる。この「朝鮮観音」という名称については、確証はないが、当時奈良地方文化財調査していた岡倉覚三天心)の発案よるものかと推定されている。前述のとおり、この像が明治30年1897年)、当時国宝指定された際の名称も「観世音菩薩であった。しかし、法隆寺側では「虚空蔵菩薩」の呼称こだわりをもっており、明治38年1905年4月14日住職佐伯定胤名で当時奈良県知事あてに「観世音」から「虚空蔵」への名称訂正願を提出しているが、寺側の願い聞き入れられなかった。その後明治44年1911年になって寺内土蔵から本像の宝冠新たに発見され、その宝冠正面阿弥陀如来化仏(けぶつ、小型仏像)が刻まれていることから、寺側でもこの像を「観音菩薩」と認めざるをえなくなった菩薩像頭上阿弥陀如来化仏があれば、その像は観音菩薩像であることを示している)。 この像の通称として20世紀以降著名になる「百済観音」という呼称はさほど古いものではなく大正6年1917年)の『法隆寺大鏡』の解説初出であるとされている。和辻哲郎の『古寺巡礼』は大正8年1919年)に刊行されたものだが、『法隆寺大鏡』の記述影響されてか、この像を「百済観音」と呼んでいる。考古学者濱田青陵濱田耕作)は大正15年1926年)、『仏教芸術誌上に「百済観音像」を発表し、後に発表した随筆集に『百済観音』という題を付けたこのようにして、本像について「百済観音」という名称が次第定着していった。

※この「「百済観音」という名称」の解説は、「百済観音」の解説の一部です。
「「百済観音」という名称」を含む「百済観音」の記事については、「百済観音」の概要を参照ください。

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