「甲州日記」スケッチの活用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 15:15 UTC 版)
「甲州日記」の記事における「「甲州日記」スケッチの活用」の解説
広重は甲州旅行後も人気浮世絵師として活躍し、甲州関係では天保13年(1842年)頃『甲陽猿橋之図』、嘉永5年(1852年)刊行の錦絵『不二三十六景』、安政5年(1858年)完成の竪絵連作『冨士三十六景』、安政4年の絵本『富士見百図』など数多くの作品を残している。広重は初期から晩年に至るまで、創作の際に自分でスケッチした実景を用いる一方で、既存の名所案内の版本や挿絵、地誌類などからモチーフ、構図を借用していることが指摘されている。 広重は『不二三十六景 甲斐犬目峠』や『富士見百図』、『冨士三十六景 甲斐犬目峠』において甲州街道の名所・犬目峠を描いている。犬目峠は「心おほへ」「日々の記」にスケッチが存在し、『富士見百図』では実景に忠実な写実的な構図となっている。一方で『不二三十六景』や『冨士三十六景』では広重は遠望するはずの桂川を峠道の下に流れる秋の渓谷として描いている。 また、同じ甲州街道の名所では「大月原」「猿橋」を多く描いている「甲斐大月原」は『富士見百図』や嘉永末期から安政初年の肉筆画『富士十二景』において描かれ、大月原は「日々の記」にスケッチがあり、実景に忠実な構図であったという。猿橋も同様に「日々の記」にスケッチがあったと言われ、掛物絵『甲陽猿橋之図』に活用されていると考えられている。 「心おほへ」にスケッチがある甲府城下の名所として『不二三十六景 甲斐夢山裏不二』や肉筆画『甲斐夢山裏不二・駿河不二ノ沼』において夢山がある。夢山のスケッチは「心おほへ」に夢山から遠望した富士のスケッチがあるのみで、『甲州日記』以外に周辺景観に関するスケッチが存在したとも考えられている。 広重のスケッチは没後にも引き継がれ、二代広重は文久2年(1858年)に団扇絵『甲斐身延路 鰍沢不二川』において初代広重の「心おほへ」中の「身延道中 鰍澤駅 不二川之図」の構図を活用している。
※この「「甲州日記」スケッチの活用」の解説は、「甲州日記」の解説の一部です。
「「甲州日記」スケッチの活用」を含む「甲州日記」の記事については、「甲州日記」の概要を参照ください。
- 「甲州日記」スケッチの活用のページへのリンク