「春日局」が下賜される
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 16:59 UTC 版)
寛永6年(1629年)には、家光の疱瘡治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、そのまま10月には上洛して御所への昇殿を図る。しかし無位無官の武家の娘という身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため、血族であり(福は三条西公条の玄孫になる)、育ての親でもある三条西公国の養女になろうとしたが、既に他界していたため、やむをえずその息子・三条西実条と猶妹の縁組をし、公卿三条西家(藤原氏)の娘となり参内する資格を得、三条西 藤原福子として同年10月10日、後水尾天皇や中宮和子に拝謁、従三位の位階と「春日局」の名号、及び天酌御盃をも賜る。その後、寛永9年(1632年)7月20日の再上洛の際に従二位に昇叙し、緋袴着用の許しを得て、再度天酌御盃も賜わる。よって二位局とも称され、同じ従二位の平時子や北条政子に比肩する位階となる。 寛永11年(1634年)に正勝に先立たれ、幼少の孫正則を養育、後に兄の斎藤利宗が後見人を務めた。寛永12年(1635年)には家光の上意で義理の曾孫の堀田正俊を養子に迎えた。
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