「日国覚書」の発見とは? わかりやすく解説

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「日国覚書」の発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 22:23 UTC 版)

勝山記」の記事における「「日国覚書」の発見」の解説

1995年平成7年)には『山梨県史』編纂事業際した古文書調査実施され富士河口湖町小立法華宗寺院である常在寺所蔵新出史料発見された。これは日蓮宗聖教である「教機時国教法流布段録」冊子余白部分記された「日国覚書」で、聖教とは同筆鑑定されている。 「日国覚書」は「勝山記妙法寺記」の原本系統属す史料から転写され断片であると考えられている。内容は「勝山記妙法寺記」における延徳3年1491年)~4年にあたる記事で、諸写本比較して多大な内容記され注目されている筆者である戒善日国明応5年1496年)の記事初見で、永正5年1508年)には常在寺住職日運死去に際して妙法寺から移った考えられている。明応9年1500年)に住職となり大永5年1525年)に死去している。 「日国覚書発見受けて大木丈夫や末柄豊、柴辻俊六らが諸本系統検討し相次いで論文発表された。大木筆写日国上人をはじめとるす妙法寺僧とし、旧説の「妙法寺記」を支持した一方の末柄は「日国覚書」の筆者日国ほか常在寺の寺宗僧が書き継いだものとした。さらに『勝山記』『妙法寺記』の共通祖本存在想定し書名は「常在寺衆中記」が適当であるとする新見解を示した辻は双説の妥当性認めつつ、「年代記写」の筆写日国上人断定することは慎重視すべきであるとする見解発表している。 「日国覚書」は『山梨県史 資料編』6中世3上に収録

※この「「日国覚書」の発見」の解説は、「勝山記」の解説の一部です。
「「日国覚書」の発見」を含む「勝山記」の記事については、「勝山記」の概要を参照ください。

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