「国事不関与」の宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 04:29 UTC 版)
「カール1世 (オーストリア皇帝)」の記事における「「国事不関与」の宣言」の解説
11月9日、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が退位を宣言した。その直後ドイツではドイツ社会民主党の主導する政権が誕生したことを受けて、オーストリア社会民主党はオーストリア皇帝も退位するよう要求し始めた。キリスト教社会党は王党派であったが、彼らも最終的には皇帝退位に同意した。 今般の戦争責任は朕の負うところではないが、帝位継承以来、忌まわしい戦禍から国民を救出すべく不断の努力を重ねてきたつもりである。国民が憲法に則った国民生活を確立し、独立国家発展への道を開拓することに対して、これを阻止する考えはない。わが国民を愛する心に変わりはなく、自由にはばたかんとする国民の前途に、朕自身が障害となることは本望ではない。朕はドイツ系オーストリア暫定政府が決定した今後の国家体制を以前から承認してきた。国民は今後、政府代表者の手に委ねられよう。朕はすべての国事行為の遂行を断念するとともに、現内閣の解散をここに宣言する。国民が一致融和の精神のもとに、新体制を確立していくことを切に望む。国民の至福が、朕の当初からの篤い祈願であり、国内の平穏によってのみ、戦禍は癒されよう。 — 11月11日午後3時、シェーンブルン宮殿内の「青磁の間」においてカールが署名した声明文。 これはハインリッヒ・ラマシュ(ドイツ語版)首相と内務大臣ガイヤーの起草によるもので、カールは同日の午前11時頃にこの草稿を見せられた後、「これは退位声明ではないか! 朕は退位なぞするつもりはない!」と激高した。ラマシュとガイヤーは「断念」とは国事行為であって帝位ではないことをカールに保証した。続いてこの最終的草稿文を見せられた皇后ツィタも同様に「これは退位以外の何物でもありません」と激怒したが、この際にも退位宣言ではないことが起草者によって保証された。午後3時にカールが署名を決断した時、すでに街の広告塔から「皇帝退位」は国民に知らされていた。 2日後の13日、今度はハンガリーの統治を断念する類似の書類にカールは署名した。この際にもカールは「朕はハンガリー王になることを神に宣誓した。その宣誓を破棄するか否かの決定を下すのは神のみだ」と自身の立場が王権神授説にもとづいていることを述べ、王位から退くことは明確に否定した。
※この「「国事不関与」の宣言」の解説は、「カール1世 (オーストリア皇帝)」の解説の一部です。
「「国事不関与」の宣言」を含む「カール1世 (オーストリア皇帝)」の記事については、「カール1世 (オーストリア皇帝)」の概要を参照ください。
- 「国事不関与」の宣言のページへのリンク