「丸物」初の支店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:29 UTC 版)
中林仁一郎が経営する京都駅前の「京都物産館」は順調に店舗を拡張して百貨店化し、全国展開を目標として多店舗化を図った。松尾国松による誘致を受け、1930年(昭和5年)4月の出張所開設を経て、同年6月1日に(京都)物産館岐阜支店を開業した。岐阜県内では初の百貨店となっただけでなく、京都物産館にとっても京都市内の西陣分店に次ぐ店舗、かつ初の本格的な支店となった。 当初は 大垣共立銀行岐阜支店ビル(地上5階)の2階から5階を売場としたが、さっそく10月には隣接する映画館旭座を買収して食料品や日用品を扱う「十銭ストア」を開設することで売場の拡張を図った。「京都物産館」の略称である「物産館」では全国展開に合わないのと、物産館の「物」を丸で囲んだマークから「丸物」と呼ばれることもあったため、翌1931年(昭和6年)9月には商号を丸物に改めた。 1937年(昭和12年)には名鉄一宮駅前に一宮デポーを開設して営業拡大を図り、1938年(昭和13年) 5月には地下1階・地上8階建ての塔屋付きの建物(佐藤信次郎の設計)を新築して本格的な百貨店としての営業を始めた。しかし、わずか6年後の1944年(昭和19年)には売場の供出を命じられて1・2階だけでの営業となり、1945年(昭和20年)7月9日には岐阜空襲によって建物は大きな被害を受けた。外壁のみを残して内部が焼損し、営業はできなくなった。
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