「万代シテイ」の開発
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1971年7月、新潟交通は流作場地区の本社用地再開発と新規事業計画の大綱を発表。バスターミナルを中心に商業施設を配置しそれら各ビルの大部分をペデストリアンデッキによって連絡し、歩行者が地上に降りることなく徒歩で移動できるようにして周辺部の回遊性を高めるという、当時としては画期的なアイディアが盛り込まれた。 まず1972年7月オープンの「シルバーボウルビル」を皮切りに、1973年11月には「ダイエー新潟店」と「万代シテイバスセンタービル」が、1975年には「万代シルバーホテルビル」が営業を開始し、第一期計画の施設群が完成した。 1984年の第二期計画ではそれまで車両整備用の施設や平面駐車場として供用していた土地でも施設群の整備が進捗し、「新潟伊勢丹」・「万代シテイ第一駐車場ビル」・「万代シテイ第二駐車場ビル」が完成した。 そして1995年12月には「新潟ジョイポリス」(現在の「万代シテイBP2」)、翌1996年10月には第二駐車場ビルのB棟が完成し、その1〜4階部分を利用したテナント群「万代シテイビルボードプレイス」がオープンして、現在の万代シテイの原型が完成した。
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