「セヌリ党」発足
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ハンナラ党の非常対策委員会は2月2日に全体会議を開き、新しい党名をセヌリ党に決定、同時に未来希望連帯と統合することを発表した。同月13日に行われた全党大会担当機構である全国委員会に提起された党名改称と党憲党規改正案が全会一致で承認され、14年のハンナラ党にピリオドを打ち、新たに「セヌリ党」となった。これに先立つ7日には、民主正義党時代からシンボルカラーとして用いてきた青色に代わり、赤色を新たなシンボルカラーとすることも決定された。 セヌリ党発足直後の2012年4月に行われた第19代総選挙の候補者を決める公薦審査では、世代交代と刷新を進めるため現職議員25%の入れ替えという基準を設け、その結果親李系を中心とする多数の現職議員が党公薦から脱落する事態となった。公薦から脱落した親李系の現職議員は強く反発し、一部議員はセヌリ党を離党して無所属や新党から出馬する者もいた。総選挙では朴委員長の地元である大邱市や慶尚北道および江原道で全勝した他、釜山でも18議席中16議席を獲得、忠清道でも善戦した結果、最大野党である民主統合党を大きく上回る152議席(うち比例代表25議席)を獲得、選挙前議席(162議席)から減らしたものの単独過半数を維持することができた。しかし、18日と20日に当選者2人が相次いで不祥事を理由に離党したため議席数は150議席となり過半数を割り込む事態となった。
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