「グリンカ論争」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 17:58 UTC 版)
「ウラディーミル・スターソフ」の記事における「「グリンカ論争」」の解説
音楽評論家・作曲家のアレクサンドル・セローフは、スターソフとはサンクトペテルブルク帝室司法学校で出会って以来の友人であり、セローフに音楽への関心を向けさせたのはスターソフだったとされる。しかし二人は、ミハイル・グリンカの二つのオペラ、すなわち『皇帝に捧げた命』と『ルスランとリュドミラ』の優劣をめぐって対立し、「不倶戴天」の間柄となる。 グリンカの二つのオペラについては、『皇帝に捧げた命』がロシア音楽の画期的事件として迎えられたのに対して、『ルスランとリュドミラ』は音楽的魅力のみであればグリンカ最良といえても、オペラとしての出来は評価されていなかった。1857年、グリンカの死に際してスターソフは、この二つのオペラに一般的に与えられた序列を変更しようと試み、『ルスランとリュドミラ』を傑作、『皇帝に捧げた命』は失敗であるとした。 セローフは1858年に反論し、『ルスランとリュドミラ』の音楽的価値は認めるものの、オペラは第一にドラマでなければならないとし、「もしそうでないなら、幕を上げない方がよい」と断じた。スターソフは、1859年に「現代の殉教者」と題した論文で『皇帝に捧げた命』を「馬鹿げた狭量な愛国主義」を公然と示したものとして退け、『ルスランとリュドミラ』はグリンカの魂に詩的表現を与えるとして再び擁護した。これに対してセローフが『ルスランとリュドミラ』には例えばワーグナー作品を説得力ある精神的ドラマにしているような神話的・神秘的な基礎が欠けていると指摘すると、スターソフは当時広がっていた汎スラヴ主義とセローフのワーグナーへの傾倒を利用し、セローフをロシア文化に対する破壊的なドイツ派・裏切り者として嘲笑した。
※この「「グリンカ論争」」の解説は、「ウラディーミル・スターソフ」の解説の一部です。
「「グリンカ論争」」を含む「ウラディーミル・スターソフ」の記事については、「ウラディーミル・スターソフ」の概要を参照ください。
- 「グリンカ論争」のページへのリンク