「グスク時代」の特徴に対する反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 17:07 UTC 版)
「グスク時代」の記事における「「グスク時代」の特徴に対する反論」の解説
来間泰男は、沖縄の多くの歴史学者が「グスク時代」の「按司」は、日本の「武士」を思い描きながら論じている事に疑問を呈している。琉球内部で抗争が起こるほどの対立が発生したとは考えにくく、また日本や中国との対外貿易を維持するには、争いの無い友好関係を築くほうが望ましかったと述べている。そして来間は、この自説を踏まえ、「グスク」は軍事的な施設ではなく、按司や住民にとって象徴的な建造物であろうと述べている。さらに考古学者が主張してきた、琉球における「本格的な」農耕社会の確立についても、疑問を投げかけている。遺跡から炭化米・牛や馬の骨が出土したというのは事実を否定しないが、ただこれらの証拠のみで、「本格的な」農耕が行われたとは断定できないとしている。グスク時代以降の琉球の農業状況は決して良くなく、琉球王国が農業政策を奨励しても、農具すら十分に普及していない集落も存在し、さらに昭和初期における沖縄の農業技術は全国と比較しても低水準で、肥料の質は貧弱で、農具も未だに幼稚であったとされる。これらより来間は、グスク時代以降における農業状況から、グスク時代の農耕の様相を大きく見直す必要があると述べている。そして来間は、社会情勢も判明せずに、意味ありげに使われている「グスク時代」の代わりに「琉球古代」という時代区分を提案している。
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