詩を書く少年 詩を書く少年の概要

詩を書く少年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/08 07:31 UTC 版)

詩を書く少年
訳題 The boy who wrote peotry
作者 三島由紀夫
日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出文學界1954年8月号
刊本情報
出版元 角川書店
出版年月日 1956年6月30日
装幀 高橋忠弥
装画 パウル・クレーシンドバッド
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発表経過

1954年(昭和29年)、雑誌『文學界』8月号に掲載された[6][7]。単行本は2年後の1956年(昭和31年)6月30日角川書店より刊行された[8][7]。同書には他に10編の短編が収録されている[9]。文庫版としては、1968年(昭和43年)9月15日に新潮文庫より刊行の『花ざかりの森憂国――自選短編集』に収録された[8][7]

翻訳版は、Ian Hideo Levy訳(英題:The Boy Who Wrote Poetry)、中国(中題:寫詩的少年)などで行われている[10]

執筆動機

自身で〈私小説〉〈半ば自伝的な作品〉だという『詩を書く少年』を執筆した動機について三島由紀夫は、自分を詩人だと信じていた少年時代の幸福感を定着しておきたいという思いもあったとしている[1]

自分が贋物の詩人である、或ひは詩人として贋物であるといふ意識に目ざめるまで、私ほど幸福だつた少年はあるまい。その目ざめから以後、私は小説家たるべき陰惨な行程を辿るのであるが、あのやうな幸福感を定着したいといふ思ひが、たまたまこの小品の形をとつた。これを書き、これを読み返して、私は文句を言はせぬあの幸福感は何に由来してゐたのかと考へる。それは一旦私を見捨て、又私から見捨てられたものであるが、三十一歳の今日、少年期の幸福感が再び神秘な意味を帯びはじめたやうに思はれる。 — 三島由紀夫「おくがき」(『詩を書く少年』)[1]

また、自分が〈詩人〉ではなかったことを発見し、〈小説家〉になった転機を書いておかなければならなかったとしている[2]

学習院中等科時代の鼻持ちならぬ少年の自分を、わざと甘く、ナルシシズムに溺れて書いた。その少年のナルシシズムと、先輩のナルシシズムの親和と、見せかけの友情と、乖離。そこに先輩のナルシシズムの滑稽さを如実に見た少年は、同時に自分の無意識のナルシシズムの滑稽さを発見して、自意識に目ざめる。それは少年が、自分は詩人ではなかつたといふことを発見する転機となる。私が詩人にならず、散文作家になつた、その転機はすべてここに隠されてゐるから、私はどうしてもこのことを書いておかなければならなかつた。 — 三島由紀夫「あとがき」(『三島由紀夫短篇全集・5』)[2]

なお、『詩を書く少年』のRのモデルとなった坊城俊民は、当時三島と「〈詩人〉の定義」で言い争ったことがあるとし[4]、「私が龍之介の文学論を盾に、最も純粋な文学者を詩人とよんだのに対し、三島は〈小説家〉と〈詩人〉を峻別して譲らなかった」と述べている[4][5]。また、三島は自身を〈詩人〉と思い込み、坊城と手紙の交換をしていた14、15歳の頃が、〈小生の黄金時代〉で、その時以上の〈文学的甘露〉はなかったと自決の6日前に回顧している[11]

主題

三島は『詩を書く少年』を、『海と夕焼』『憂国』と並んで、〈私にとつてもつとも切実な問題を秘めたもの〉として、『詩を書く少年』には、〈少年時代の私と言葉観念)との関係が語られてをり、私の文学の出発点の、わがままな、しかし宿命的な成立ちが語られてゐる〉と説明している[12]

ここには、一人の批評家的な目を持つた冷たい性格の少年が登場するが、この少年の自信は自分でも知らないところから生れてをり、しかもそこには自分ではまだ蓋をあけたことのない地獄がのぞいてゐるのだ。彼を襲ふ「詩」の幸福は、結局、彼が詩人ではなかつたといふ結論をもたらすだけだが、この蹉跌は少年を突然「二度と幸福の訪れない領域」へ突き出すのである。 — 三島由紀夫「自作解説」(自選短編集『花ざかりの森憂国』)[12]

なお三島は、『詩を書く少年』と『海と夕焼』との関連性に触れ、『海と夕焼』は『詩を書く少年』の〈絵解きとも見るべき作品〉だとし、『海と夕焼』の〈つひにが別れるのを見ることがなかつた少年の絶望〉は、『詩を書く少年』の〈自分が詩人でないことを発見した少年の絶望〉と同じだと解説している[2]。また『海と夕焼』の主題を、〈おそらく私の一生を貫く主題になるもの〉として、自身の〈問題性〉である〈「なぜあのとき海が二つに割れなかつたかといふ奇蹟待望」が自分にとつて不可避なことと、同時にそれが不可能なこと〉は、『詩を書く少年』を書いた15歳の頃から、〈明らかに自覚されていた筈〉と自己分析している[12]


  1. ^ a b c 「おくがき」(『詩を書く少年』角川小説新書、1956年6月)。29巻 2003, pp. 221–222に所収
  2. ^ a b c d 「あとがき」(『三島由紀夫短篇全集・5』講談社、1965年7月)。33巻 2003, pp. 411–414に所収
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 佐藤秀明「〈現実が許容しない詩〉と三島由紀夫の小説」(論集II 2001, pp. 1–22)
  4. ^ a b c 「『詩を書く少年』のころ」(坊城 1971
  5. ^ a b c 田中美代子「詩を書く少年」(事典 2000, pp. 185–187)
  6. ^ 井上隆史「作品目録――昭和29年」(42巻 2005, pp. 403–406)
  7. ^ a b c 田中美代子「解題――詩を書く少年」(19巻 & 2002-06, pp. 788–790)
  8. ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  9. ^ 高橋重臣「詩を書く少年」(旧事典 1976, p. 177)
  10. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695–729)
  11. ^ 坊城俊民宛ての書簡」(昭和45年11月19日付)。38巻 2004, pp. 875–876
  12. ^ a b c 「解説」(『花ざかりの森憂国――自選短編集』新潮文庫、1968年9月)。花・憂国 1992, pp. 281–286、35巻 2003, pp. 172–176に所収
  13. ^ a b 野島秀勝「『拒まれた者』の美学―三島由紀夫論」(群像 1959年2月号)。野島秀勝『「日本回帰」のドン・キホーテたち』(冬樹社、1971年)に所収。論集II 2001, p. 5
  14. ^ 神西清「ナルシシスムの運命」(文學界 1952年3月号)。群像18 1990に所収。論集II 2001, p. 5
  15. ^ a b 高橋和幸「三島由紀夫の初期世界の考察―小説家の誕生と中世」(私学研修 第151・152合併号、1999年2月)。論集II 2001, p. 6
  16. ^ 小説家の休暇』(講談社、1955年11月)。28巻 2003, pp. 553–656に所収


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