武田氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 08:38 UTC 版)
主な一族・家臣
所属家臣
- 武田義統(たけだ よしつね)
- 武田信豊(たけだ のぶとよ)
- 粟屋勝久(あわや かつひさ)
- 粟屋元行(あわや もとゆき)
- 粟屋光若(あわや みつわか)
- 粟屋勝春(あわや かつはる)
- 逸見昌経(へんみ まさつね)
- 武藤友益(むとう ともます)
所属家臣と言われている者
- 月甫清光(がっぽ せいこう ※名前の読み方には諸説あり)
系譜
甲斐源氏・武田宗家の系図(武田家系図)は伝存するものでは近世初頭からの系図が確認されているが、室町期に成立した『一蓮寺過去帳』においては武田家系図を参照して僧帳を作成した経緯が記されており、近世期に伝わる武田家系図の原本が存在していたと考えられている。
近世初頭の成立の武田家系図には武田源氏一統系図、円光院武田家系図、南松院武田家系図、大聖寺武田家系図などがある[18]。
円光院武田家系図は清和源氏から甲斐源氏の武田氏・逸見氏の家系図、足利将軍家や鎌倉公方家の足利家系図らを引き継ぎ、信時流武田氏の信武から信縄までの武田宗家・信君までの穴山氏の系図をまとめた構成となっており、異筆で今井氏の系図が記されている。円光院武田家系図は本来的には信虎から信玄・勝頼・信勝までの宗家系譜が存在せず、信虎以降の宗家に穴山勝千代を続けた加筆部分が存在している。加筆部分から円光院武田系図は信君没年である天正10年から勝千代没年である天正10年の間の成立であると考えられており、本来的には穴山氏の由緒を強調する意図があったと考えられている。
江戸時代には武田宗家の子孫として旗本川窪氏がいるが、川窪氏は円光院武田家系図を底本に武田源氏一統系図・川窪氏系図を編纂し、これは『寛永諸家系図伝』に収録され、江戸時代に作成された諸系図の多くはこれを底本としている。武田源氏一統系図は一蓮寺過去帳に由来する楯無鎧の承伝過程を記している点などが注目される。
南松院武田家系図は同じく円光院武田家系図を底本に1630年代頃に成立したと考えられており、武田宗家から穴山氏・今井氏の系譜を記し、円光院武田系図と同様に穴山氏の系譜を記すことが目的であったと考えられている。
大聖寺武田家系図は川窪氏系図が記載されていることから武田源氏一統系図以降に作成されたと考えられており、高家武田家の系譜が存在しないことから高家武田家系図成立以前の作成であると考えられている。
脚注
- 実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。
武田信虎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
河窪信実1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信俊2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信雄3 | 信房 | 信宅 | 信本 | 信世1 | 信次1 | 信通1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
武田信貞4 | 武田信安1 | 信亮2 | 武田奉信2 | 信良2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信令5 | 堀田通矩 | 河窪信慈1 | 信常2[† 1] | 武田信常 | 信有3 | 堀秀興 | 信近1 | 信全3 | 信精 | 信明3[† 2] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信喜6 | 信胤 | 信積2[† 3] | 信温3[† 4] | 信安4 | 武田信敦 | 信昆 | 信易2 | 信精4 | 信博4 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信胤7 | 信友3[† 5] | 信尹4 | 松平正職 | 信昆5 | 信貞3[† 6] | 信敦5[† 7] | 信明5 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信村8 | 信睦4 | 信房5 | 信軌6 | 寛右衛門4 | 信至6[† 8] | 信政6 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信親9 | 信誼 | 信順5 | 信誼6[† 9] | 七郎右衛門7 | 七郎兵衛5 | 信成7 | 彦太郎7 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信徳10 | 賢三6 | 与左衛門7 | 鍬太郎8 | 寛一郎6[† 10] | 金十郎8 | 鉄太郎8 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信禄11 | 晴之丞8 | 玄九郎9[† 11] | 鎮之助9 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信敬12 | 勇次郎 | 敬子10 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
章11 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注釈
- ^ 西川広平「南北朝期 安芸・甲斐武田家の成立過程について」は、武田信春は足利尊氏近臣としての功績から祖父の武田信武の死後に甲斐守護職に任じられたとして、信成の守護職在職の事実を否定している。
- ^ 穴山信君の嫡男で武田信玄の外孫、武田宗家の名跡を相続。
- ^ 徳川家康の五男で武田氏家臣・秋山虎泰の外孫、武田宗家・穴山家の名跡を相続。
- ^ 高家肝煎。陸奥守山藩主・松平頼亮の三男、徳川家康の六世の孫。
- ^ 旗本・遠山景高の五男。
- ^ 高家・織田長裕の子。
- ^ 一般的に守護は国単位(分国)で置かれるが、何らかの事情により郡単位(分郡)で置かれた場合に分郡守護と呼ばれる。役務自体は、通常の守護と同じである。ただし、近年の研究では分郡守護の存在を否定する説も出されている。
- ^ 若狭武田氏・武田元光の子。
- ^ 実は川島六郎兵衛吉惟弟川嶋徳左衛門某の嫡男
- ^ 実は川村伴五郎楠永の二男
- ^ 林正真の養子となる。
- ^ 木村周直の養子となる。
- ^ 実は先代武之の末弟。
出典
- ^ a b c d 『姓氏』(丹羽基二著作/樋口清之監修)および『旧事記』、『和名抄』より。
- ^ 百科事典マイペディア『武田氏』 - コトバンク
- ^ a b c 松田敬之 2015, p. 424.
- ^ 川合康『源平の内乱と公武政権』吉川弘文館〈日本の中世3〉、2009年。
- ^ 守隨本店の歴史
- ^ 武田氏研究の研究史については、秋山敬「文献からみた武田氏研究」『武田氏研究』(第21号、1999年)、のちに増補して『甲斐武田氏と国人』(高志書院、2003年)に収録。文献目録には海老沼真治「武田氏関係研究文献目録 1983 - 2007年」平山優・丸島和洋編『戦国大名武田氏の権力と支配』(岩田書院、2008年)がある。
- ^ 網野善彦「鎌倉時代の甲斐国守護をめぐって」『武田氏研究』第8号、1991年。
- ^ 柴辻俊六「戦国大名自筆文書の考察-武田信玄を事例として-」『山梨県史研究』5号、1997年、pp.79-100。
- ^ 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館編集発行 『企画展示 大ニセモノ博覧会 ー贋造と模倣の文化史ー』 2015年3月10日、pp.50-57。
- ^ 西谷大編著 『見るだけで楽しめる! ニセモノ図鑑 贋造と模倣からみた文化史』 河出書房新社、2016年10月20日、pp.58-70、ISBN 978-4-309-27767-7。
- ^ 黒田基樹「鎌倉期の武田氏」『地方史研究』211号、1988年。/所収:木下聡 編『若狭武田氏』戎光祥出版〈シリーズ・中世西国武士の研究〉、2016年。ISBN 978-4-86403-192-9。
- ^ 西川広平「南北朝期 安芸・甲斐武田家の成立過程について」『中央大学文学部 紀要』史学65、2020年。/所収:西川広平 編『甲斐源氏一族』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究〉、2021年。ISBN 978-4-86403-398-5。
- ^ a b 福井県立若狭歴史博物館 編『若狭武田氏の誇り』2017年、8-10頁。
- ^ 和氣俊行「松前氏祖武田信広の出自について : 従来の説の再検討と新しい可能性の提示」『国際日本学』第1巻、法政大学国際日本学研究所、2003年10月、49-73頁、doi:10.15002/00022559、hdl:10114/00022559、ISSN 1883-8596、CRID 1390009224830454144。
- ^ 丸島和洋 著「甲斐に下向した奉公衆武田氏について」、戦国史研究会 編『戦国期政治史論集 東国編』岩田書院、2017年。ISBN 978-4-86602-012-9。
- ^ a b c 徳島大学附属図書館蔵『蜂須賀家家臣成立書并系図』
- ^ a b 高澤等『家紋の事典』東京堂出版、2008年。
- ^ 武田家系図については近年系譜資料論の観点から諸系図の資料的性格が検討され、(西川広平 2008)、峰岸純夫・入間田宣夫・白根靖大編『中世武家系図の史料論』(下巻、2007年、高志書院)、(西川広平 2009)などがある。
固有名詞の分類
- 武田氏のページへのリンク