木曽義康とは? わかりやすく解説

木曾義康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/17 18:47 UTC 版)

 
木曾 義康
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正11年(1514年
死没 天正7年(1579年
別名 源太郎・宗春・中務大輔
主君 武田信玄
氏族 木曾氏
父母 父:木曾義在、母:小笠原定基の娘
兄弟 義康、月光院(山村良利室)
義昌上松義豊、岩姫
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木曾 義康(きそ よしやす)は、戦国時代武将戦国大名信濃国木曾谷領主である木曾氏の当主。條

経歴

天文11年(1542年)頃に家督を継承していると考えられている。

天文14年(1545年)義康が義昌と伴に妻籠へ出陣し、中津川防衛のため上兼(中津川上金)との途中の落合の茶屋坂で戦い、義康の家臣の萩原主水(本名遠山)が安田新七郎を討ち取っているため[1]、当時も苗木遠山氏は木曽氏の傘下にあったと考えられる。

天文22年(1553年甲斐国守護の武田晴信(信玄)は信濃侵攻を本格化し、北信国衆の村上義清を駆逐し東信濃・中信濃を確保した。

天文23年(1554年)には南信濃への侵攻を行い、知久氏や下條氏を傘下に収めて伊那郡を制圧し、美濃国境に近い義康もこの頃に出仕している(『勝山記』による。なお、信玄の木曽侵攻を弘治元年とする説もある)。

天文23年(1554年)に武田氏が伊那谷南部を制圧すると、東美濃恵那郡の国衆遠山氏も武田氏に帰属し、美濃斎藤氏との関係悪化を招いた。

弘治元年(1555年)に斎藤道三織田信長による遠山領の美濃土岐郡東部への出兵が行われ

武田氏は、小里光忠小里光次へ援軍を派兵し、後に和睦交渉を行っており、義康は東美濃の情勢を信玄に伝えている。

笹本正治は、義康の出仕を天文24年=弘治元年8月頃と推測し、

当時の木曾氏は鳥居峠で武田氏勢力と接していたこと、

武田氏側から見れば長尾景虎(上杉謙信)への対応が優先されたことや斎藤氏などとの緩衡地帯としての役割が期待されたことで、

木曾氏が諏訪氏小笠原氏村上氏のように滅亡や追放の対象とはされなかった理由とする一方、

木曾氏家中には自身の家臣(安部氏)を送り込むなど木曾氏の独立性が強く制約する方針を採ったとする[2]

その後は子の義昌の妻に信玄の娘(真理姫)を迎えるなど武田家の親族衆として義昌とともに、

永禄3年(1560年)には飛騨三木氏を撃退するなどの活躍をしている。

永禄8年(1565年)10月には木曽一族が木曽黒澤若宮八幡神社に三十六歌仙板絵を奉納しており、義康は「宗春」の名で、当主の義昌に次ぐ三枚を寄進している。

天正元年(1573年)8月、苗木城主の遠山友忠が木曾を攻めようとしたが、木曽氏の家臣で田立村の根尾山尾崎にあった砦を守っていた原平左衛門[3]が、夜陰に紛れて恵那郡川上村の河折籠屋を攻め落とし首級62を獲た[4]。義昌は恵那郡坂下村において、五貫文の土地を与え、なお苗木城を攻め落とせば別に賞を与えると書状を与えている[5]

(義昌 朱印) 今度 河折籠屋 之 調略 神妙也、 爲加恩 於 坂下 五貫文 地出置候、苗木 成就之上 場所 聞届可 申付者也 仍如件

参考文献

  • 『木曽福島町史』 第二十一節 義康 P107-P108 木曽福島町教育委員会 編

脚注

  1. ^ 『木曽考』
  2. ^ 笹本正治「武田氏の木曽進入をめぐって」(初出:『武田史研究』5号(1989年)/所収:笹本『戦国大名武田氏の研究』(思文閣出版、1993年)) 1993年、P186-212.
  3. ^ 川上村史 p158
  4. ^ 西筑摩郡誌p573
  5. ^ 木曾考
先代
木曾義在
木曾氏当主
第17代
次代
木曾義昌



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