小早川正平 小早川正平の概要

小早川正平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/03 10:27 UTC 版)

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小早川正平
時代 戦国時代
生誕 大永3年(1523年
死没 天文12年5月9日1543年6月21日[1]
改名 詮平(初名)[1]、正平
別名 又太郎[1]
戒名 成就寺天秀祖佑[1]
官位 掃部頭[1]備後[1]美作
氏族 小早川氏
父母 父:小早川興平[1]
繁平[1]問田大方小早川隆景室)

大永3年(1523年)、小早川興平の長男として生まれる。大永6年(1526年)、父の死去により家督を継いで当主となる。はじめ大内氏に従属していたが、天文8年(1539年)に大内氏を裏切って尼子氏に従属しようとした。しかし事前に大内義隆に事が露見したため、義隆によって派遣された大内軍によって居城の高山城を占領され、さらに大内氏の城番を派遣されて監視下に置かれることとなった。

天文11年(1542年)、大内義隆が出雲遠征を開始すると(月山富田城の戦い)、それに従軍した。しかし大内軍が大敗を喫して全軍撤退となったとき、義隆より殿軍を命じられ、天文12年(1543年)5月9日に尼子軍の攻撃を受けて出雲鳶巣川にて21歳で討死した[1]。長男の繁平が跡を継いだ。後に義隆の横槍で平賀氏を継いだ平賀隆保は従弟に当たる。

脚注

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