国鉄キハ07形気動車 改造車

国鉄キハ07形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 06:37 UTC 版)

改造車

ナヤ6566(ナエ2703)

終戦直後の1949年9月に廃車になったトップナンバーのキハ42000の廃車体を、1951年3月に鹿児島車両所救援客車ナヤ6566として車籍復活させたものである。中央扉は埋め込まれてステップは除去され、その位置にトイレが設置され、砲弾型のケーシングに収められた尾灯が特徴的であったが、その他は原形をよく保っていた。

1953年の車両形式称号規程改正によりナエ2703に改番された後、1963年に廃車。

キユニ07形

四国地区の客車列車の気動車化によって不足した郵便荷物車の増備のため、1960年多度津工場で4両(キハ07 22, 27, 15, 23 > キユニ07 1 - 4)が改造された[23]

車体の前位を荷物室、後位を郵便室とし、荷重は荷物室5t、郵便室4tで積載可能な郵袋数は278個であった。既設の引戸は、中央部のものを除いて埋め込まれ、荷物室には幅1.8mの両開き式、郵便室には幅1mの片開き式の引戸が新設された。前後の客用扉の跡には、乗務員用の開き戸が新設されている。当初は、液体式に改造される計画であったようだが、機械式のままとされ、単行運転の場合は自走したが、液体式の気動車と併結する場合は協調運転を行なわずに牽引され、その際の発電用に従台車に車軸発電機を装備した[注釈 12]。形式図では前後扉のステップ跡が残され、トイレも設置されているが、前者は撤去されており、後者は設置されなかった。

高松運転所に配置され、1966年まで使用された。

キハ07 901

世界的に普及の兆しを見せていたガスタービン動車を日本においても研究するため、日本鉄道車輌工業協会が中心となって「ガスタービン車両技術委員会」が発足し、国鉄の車両設計事務所、鉄道技術研究所、メーカー15社が参加し、運輸省から研究補助金を受けて実車試験を行うことになった。この目的で、大垣機関区で廃車になったキハ07 204を種車として、ガスタービンエンジンを搭載する改造が行われた。ガスタービンエンジンは石川島播磨重工業ゼネラル・エレクトリックとの技術提携で製作したヘリコプター用IM100-2形(CT58形)ターボシャフトエンジン (1,050 PS/19,500 rpm) で、これを床下に搭載し、トルクコンバータ無しの一段減速機械式動力伝達装置を介して片方の台車の2軸を駆動する構造となっている。設計最高速度は150 km/h。この改造の際に動力台車をキハ181系気動車と同型のDT36Bに交換された。鉄道技術研究所での連続153 km/h性能試験を含む台上試験を1968年度(昭和43年度)に行い、最大推進軸伝達馬力は152 km/hで1,062 PS、最大動輪周引張力は85 km/hで2,050 kgを記録した[24][25]

これを受けて本線上でも試験走行を行なうこととなり、1969年11月に汽車製造東京製作所で再改造のうえキハ07 901として車籍復帰した[22]。その際、付随台車のTR205Bへの交換とFRP製の流線形前面の取付けが行われた。1970年2月より磐越東線郡山 - 船引間23.1 kmで試験が行われた。この試験では7ノッチ起動後60秒で55 km/hに達する加速性能を記録し、最大動輪周引張力は2,500 kg、懸念されていた騒音はディーゼル動車と同等とされたが、力行速度が想定より低かったこともあり燃料消費率は既存の急行用ディーゼル動車の1.8倍に達した。さらに同年7月には川崎重工業製のKTF1430 (1,230 PS/18,500 rpm) を床上に搭載して同じく磐越東線で走行試験が行なわれた。こちらでは7ノッチ起動後60秒で57.5 km/hに達する加速性能で、最大動輪周引張力は3,100 kg、騒音は機関の床上搭載の効果によりディーゼル動車より低減し、減速比を大きくして燃費の良い回転数を中心に使用したことから燃料消費率は現行ディーゼル動車の1.4倍に改善した。これらの試験結果を基にしてキハ391形気動車が製作されることとなり、1971年に再び役目を終えて除籍された[24][25]

キヤ91 1(ヤ395)

電化工事用職用車のうちの建柱車として、キハ07 201をベースに1969年郡山工場で改造された[26]。台枠以上の車体は取り払われ、台枠強化のため従来の台枠の上に別の台枠を組んで厚みを増し、その上に建柱用のジブクレーン、コンクリートミキサおよびディーゼル発電機、一端に運転台を設けている。種車の機関は残されて自走可能であったが、台車は重量の増した車体を支えるため、キハ10系用のDT19/TR49に交換されている。試用の結果、気動車では乗務員の手配、検修等に問題があり、1970年3月に電気回路の改造を実施して最高運転速度を45km/hに抑え、同時に貨車に車種変更してヤ395に改番した。同用途のヤ360形(穴掘車)、ヤ370形(骨材車)、ヤ380形(材料運搬車)、ヤ390形(装柱車・旧キヤ90形)とともに房総西線の電化工事に使用され、その後旧大網駅構内で長期休車の後、1984年に廃車となった。

キヤ92 1

電気検測車として、き電停止時でも検測できるよう気動車であるキハ07 205をベースに1970年に郡山工場で改造したもので、架線の測定機能の他に信号・通信関係の検測機能も備え、交流電化区間の検測も可能である。車体は、基本的に種車の構造を活かしているが、前位寄りの屋根上に検測用のパンタグラフ(下枠交差式)を3基搭載するため、その部分の屋根は低屋根化されており、後位寄りには架線観測用のドームが設けられている。床下には走行用の他に測定機器の電源用エンジンを装備している。台車は、改造当初は種車のままであったが、後にDT19/TR49に交換された。

後継のキヤ191系試験車が登場したため、1976年青森運転所で廃車になり、東京都国分寺市中央鉄道学園(国鉄職員の研修施設)で教材として使用されたが、1985年頃に同学園の閉鎖とともに解体された。


注釈

  1. ^ 当形式が製造された時代の時点での気動車は普通列車用しか製造されていないが、同書によれば「一般形機械式ディーゼル動車」に分類されている。ただしこれは制式に分類したわけではない。
  2. ^ 車体長18m、定員120人、荷物室付き。新造段階では日本最大の機械式気動車。
  3. ^ 同書においては、1930年代末期の西成線における42000形運用を担当した宮原機関区の区長・磯田寅二の著作『ガソリン動車の故障手当』(大教社 1940年)における42000形の故障記録とその対策を引用し、重通勤路線の西成線で厳しい省燃費運転を伴っての連結運用を強いられた42000形が露呈した、数々の脆弱さ・欠陥面を厳しく指摘している。
  4. ^ 私鉄では江若鉄道で、夏期の水泳客輸送時等に常用されていた。
  5. ^ 当時の客車は12t長軸を採用。車輪はスポーク車輪を採用したが、動軸についてはスポークに亀裂が入るという問題が発生したことからプレート車輪へと変更された。
  6. ^ 当時の一般的な19 - 20m級電車が最低でもMT15(1時間定格出力100kW(約133PS))クラスの主電動機を4基装架していたのに対し、気動車はエンジン技術の不足から、当時最大級のキハ42000でもエンジンの連続定格出力はわずか150PSに過ぎなかった。低抵抗なコロ軸受軽量台車の採用はこのような機関の非力さを補うためで、国鉄・私鉄を問わず同時期の気動車の多くに共通した必然的措置であった。なお、坂上・原田(2005)p43、p55によれば、鉄道省ガソリンカーのローラーベアリングは、36900形のTR26時点ではアメリカ・ティムケン社の原型を日本精工・東洋ベアリングで国産化させた単列テーパー式であったが、TR29ではより整備しやすいSKF原型の複列テーパー式に変わったとする。
  7. ^ ボンベ充填には数時間を要し、ガス会社専用線への車両回送やガスボンベ輸送専用貨車の手配などの手間も無視できないものであった。
  8. ^ 縦型6気筒、連続定格出力75PS。
  9. ^ ただし、燃料タンクが推進軸の真横に配置されていたため、推進軸のジョイントが外れてタンクを破る事態を起こした事実があり、設計上の配慮は不足していたといえる。坂上・原田(2005)p138以降の事故検証および同書p159以降の総括では、この事故を含めて42000形は総合的に技術力や配慮不足の著しい欠陥車であったと指弾する。また42000形は当時の国鉄旅客車には珍しく鋼板張り屋根を用いていたため、鋼製車でも屋根は鉄骨木造・防水布張りが一般的だった他の車両のように、横転車の屋根部分を緊急破壊して旅客救出を図る策も採り難かった。
  10. ^ 同通達によれば、41314は事故5日前の9月9日に甲修繕を終えて大宮工場を出場したばかりであった。
  11. ^ 引用元の典拠は、大谷武雄「ディーゼル動車の空気調速機はどうして車軸折損に役立つか」(『機関車工学』Vol.10 No.2 1956年2月)による。
  12. ^ 一般に気動車は、運用中常時回転している走行用エンジンでベルト駆動される空気圧縮機や発電機で所要の圧縮空気や低圧電源を賄う。気動車がエンジン停止状態で牽引されている場合でも、自動ブレーキ用圧縮空気は牽引する動力車から供給できるが、車内照明や尾灯の電源は得られなくなり、車軸発電機装備などの対策が必要になる。

出典

  1. ^ 交友社 日本国有鉄道工作局・車両設計事務所『100年の国鉄車両(3)』 p.431[注釈 1]
  2. ^ a b c d e f g h i j 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.8
  3. ^ 坂上茂樹・原田鋼『ある鉄道事故の構図』(2005)p67-[注釈 3]
  4. ^ 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.9
  5. ^ a b 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.10
  6. ^ a b c d e f g 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.13
  7. ^ 岡田誠一『キハ41000とその一族』(RM Re-Library 4)、ネコ・パブリッシング、2022年(RM LIBRARY 1・2 復刻版、原著1999年)、p.19
  8. ^ 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.36
  9. ^ 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.38
  10. ^ a b 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.43
  11. ^ 快速ガソリンカー試運転『大阪毎日新聞』昭和10年6月19日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p423 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  12. ^ 坂上・原田(2005)p56-57
  13. ^ a b 岡田健太郎『撫順電鉄 撫順鉱業集団運輸部 -満鉄ジテとその一族-』2017年
  14. ^ 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.30
  15. ^ a b 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.35
  16. ^ 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.40
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.40
  18. ^ 坂上茂樹「1930~・60年代前半における本邦鉄道車軸とその折損事故について(2/2)」(大阪市立大学経済学部『経済学雑誌』117-2 2016年9月)p73にて引用された、1955年11月1日付の国鉄工作局長による全国国鉄工場長向け通達・工修第1355号「歯車式気動車の動輪の検査について」に基づく[注釈 10]
  19. ^ 坂上茂樹「戦前・戦時期の国産中・大型自動車用機関について(2)」(大阪市立大学『経済学雑誌』111(4) 2011年3月)p29・表3に準拠[注釈 11]
  20. ^ 本項は坂上・前掲論文p29-30による。
  21. ^ a b 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.56
  22. ^ a b c 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.79
  23. ^ 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.76
  24. ^ a b 滝田光雄「国鉄ガスタービン動車開発の経緯と今後の計画」『鉄道ピクトリアル』第266号、電気車研究会、1972年6月、4 - 7頁。 
  25. ^ a b 小林正治「わが国ガスタービン動車開発の経過」『鉄道ピクトリアル』第266号、電気車研究会、1972年6月、7 - 11頁。 
  26. ^ 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.82
  27. ^ a b c d e f g h i j k l 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.86
  28. ^ 羽幌炭砿にまつわる話シリーズ10「羽幌炭砿鉄道のディーゼルカー」 鈴木商店記念館、2023年3月21日閲覧
  29. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.88
  30. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.91
  31. ^ a b c d e f g h i j k l 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.94
  32. ^ a b c d e f g h i j k l 岡田誠一『キハ07ものがたり』2022年(原著2002年)、p.95
  33. ^ 文化審議会答申 (国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定)について | 文化庁”. www.bunka.go.jp. 2021年10月26日閲覧。
  34. ^ 令和4年3月22日文部科学省告示第38号。
  35. ^ 山陰鉄道研究会編「備前の里に消えた列車たち」自費出版、1991年6月20日発行、p.96






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