南部氏 脚注

南部氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 03:52 UTC 版)

脚注

参考文献

  • 菊池悟郎『南部史要』菊池悟郎、1910年8月28日。 
  • 青森県史編さん中世部会『青森県史 資料編 中世 1 南部氏関係資料』青森県、2004年3月31日。 
  • 青森県史編さん中世部会『青森県史 資料編 中世 2 安藤氏・津軽氏関係資料』青森県、2005年3月31日。 
  • 青森県史編さん近世部会『青森県史 資料編 近世篇 2 津軽1 前期津軽領』青森県、2002年3月31日。 
  • 青森県史編さん近世部会『青森県史 資料編 近世篇 3 津軽2 後期津軽領』青森県、2006年3月31日。 
  • 青森県史編さん近世部会『青森県史 資料編 近世篇 4 南部1 盛岡藩』青森県、2003年3月3日。 
  • 青森県史編さん近世部会『青森県史 資料編 近世篇 5 南部2 八戸藩』青森県、2011年3月31日。 
  • 青森県史編さん近現代部会『青森県史 資料編 近現代 2 近代成立期』青森県、2000年3月31日。 
  • 青森県史編さん民俗部会『青森県史 民俗編 資料 南部』青森県、2001年3月31日。 
  • 青森県史編さん民俗部会『青森県史 民俗編 資料 下北』青森県、2007年3月31日。 
  • 『岩手県史 第2巻 中世篇 上』岩手県、1961年3月25日。 
  • 『岩手県史 第3巻 中世篇 下』岩手県、1961年10月20日。 
  • 『岩手県史 第5巻 近世篇 2』岩手県、1963年1月30日。 
  • 『岩手県史 第9巻 近代篇 4 岩手県篇(その2)』岩手県、1964年3月30日。 
  • 『岩手県史 第10巻 近代篇 5 岩手県篇(その3)』岩手県、1965年3月30日。 
  • 『岩手県史 第12巻 年表』岩手県、1966年11月1日。 
  • 『秋田県史 第1巻 古代・中世編』秋田県、1977年4月30日。 
  • むつ市史編さん委員会『むつ市史 近世 編』青森県むつ市、1988年3月31日。 
  • むつ市史編さん委員会『むつ市史 年表 編』青森県むつ市、1988年2月20日。 
  • 工藤睦男『大畑町史』青森県下北郡大畑町(現むつ市)、1992年2月1日。 
  • 川内町史編さん委員会『川内町史 原始・古代 中世 近世 編』青森県下北郡川内町(現むつ市)、2005年3月13日。 
  • 『五所川原市史 通史編I』青森県五所川原市、1998年3月31日。 
  • 『矢巾町文化財報告書第31集 久慈文書』岩手県紫波郡矢巾町教育委員会、2003年2月28日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 2 青森県』角川書店、1985年12月1日。ISBN 4-04-001020-5 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年3月8日。ISBN 4-04-001030-2 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 5 秋田県』角川書店、1980年3月8日。ISBN 4-04-001050-7 
  • 有限会社平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第2巻 青森県の地名』平凡社、1982年7月10日。ISBN 4-582-49002-6 
  • 有限会社平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X 
  • 有限会社平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第5巻 秋田県の地名』平凡社、1980年6月6日。ISBN 4-582-49005-0 
  • 児玉幸多坪井清足日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。 
  • 「角川日本姓氏歴史人物大辞典」編纂委員会『角川日本姓氏歴史人物大辞典 第3巻 「岩手県姓氏歴史人物大辞典」』角川書店、1998年5月18日。ISBN 4-04-002030-8 
  • 木村 礎、藤野 保、村上 直『藩史大辞典 第1巻 北海道・東北編』雄山閣、2002年4月15日。ISBN 4-639-10033-7 
  • 松岡孝一『青森県百科事典』株式会社東奥日報社、1981年3月1日。 
  • 岩手放送『新版 岩手百科事典』岩手放送株式会社、1988年10月15日。 
  • 秋田魁新報社『秋田大百科事典』秋田魁新報社、1981年9月1日。ISBN 4-87020-007-4 
  • 細井計、伊藤博幸、菅野文夫、鈴木宏『岩手県の歴史』山川出版社、1999年8月17日。ISBN 4-634-32030-4 
  • 浪川健治『街道の日本史 4 下北・渡島と津軽海峡』吉川弘文館、2001年7月10日。ISBN 4-642-06204-1 
  • 瀧本壽史、名須川溢男『街道の日本史 5 三陸海岸と浜街道』吉川弘文館、2004年12月20日。ISBN 4-642-06205-X 
  • 細川計『街道の日本史 6 南部と奥州道中』吉川弘文館、2002年5月20日。ISBN 4-642-06206-8 
  • 西ヶ谷恭弘『国別 戦国大名城郭事典』東京堂出版、1999年12月5日。ISBN 4-490-10533-9 
  • 地方史研究協議会『地方史事典』弘文館、1997年4月30日。ISBN 4-335-25056-8 
  • 大正十三造『不来方の賦 -南部藩主物語-』岩手日報社、1987年4月10日。ISBN 4-87201-015-9 
  • 『参考太平記』大田藤四郎 大洋社、1937年。
  • 『太平記』山下宏明校注、新潮社、1977年。
  • 七宮涬三『陸奥 南部一族』新人物往来社、1987年12月1日。ISBN 4-404-01468-6 
  • 大正十三造『不来方の賦 -南部藩主物語-』岩手日報社、1987年4月10日。ISBN 4-87201-015-9 
  • 鈴木かほる『相模三浦一族とその周辺史―その発祥から江戸期まで』新人物往来社、2007年6月10日。ISBN 4404034733 
  • 千葉優「原敬と華族 : 南部家との関係を中心に」『弘前大学國史研究』第115巻、弘前大学、2003年、53-71頁、NAID 110000322971 
  • 『八戸根城と南部家文書』小井田幸哉、国書刊行会、1986年。
  • 丸島和洋「南部信登」柴辻俊六・平山優・黒田基樹・丸島和洋編『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年
  • 平山優『中世武士選書5 穴山武田氏』戎光祥出版、2011年
  • 滝尻侑貴 著「南部師行―陸奥将軍府で重用された八戸家当主」、亀田俊和生駒孝臣 編『南北朝武将列伝 南朝編』戎光祥出版、2021年、12-25頁。ISBN 978-4-86403-380-0 

関連項目


  1. ^ 自称は藤原氏であるが、南部氏族である説が有力である。詳細は津軽為信を参照。
  2. ^ 始祖である武田信廣若狭武田氏又は南部氏の流れを汲むとされる。
  3. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)他『南部氏』 - コトバンク
  4. ^ a b 『青森県史』資料編 中世1
  5. ^ 糠部五郡とは糠部郡岩手郡閉伊郡鹿角郡津軽郡 (陸奥国)のことだとされているが、これらは後の16世紀半ば南部氏領の最大版図とほぼ同域であり、豊臣政権から領地安堵してもらうことと津軽地方を押領している大浦(津軽)為信惣無事令に違反する逆徒と訴えていることについて、歴史的にも正当性があるように南部家伝を捏造したと考えられている。
  6. ^ 『岩手県史』第2巻 中世篇 上
  7. ^ 南北朝武将列伝 南朝編 2021, p. 13-14.
  8. ^ 南部藩 参考諸家系図 第3巻(国書刊行会) 解題 南部重直の家臣大政策 加藤章 P.575
  9. ^ 南部孫次郎を南部系譜では茂時に、嫡家系譜では7代当主の南部信長にしている。
  10. ^ <太平記>では南部太郎とする場合や、南部二郎、又は南部三郎などと定かでない。
  11. ^ この後、新田義貞らの反足利勢力の一翼として、後醍醐天皇の比叡山への御幸に従いながら足利方に捕らえられ禁殺されたとされているが、南部氏系譜によって記載する系譜と不記載がある。
  12. ^ 『盛岡南部氏物語』の嫡家系譜では、義行をして恵性の北条軍として分倍河原の戦いに出陣して戦い、敗れた恵性を奥州に案内した南部太郎としている。
  13. ^ 『陸奥南部一族』など
  14. ^ 『太平記』 第14巻より
  15. ^ 『太平記』第14巻より
  16. ^ 同年の足利尊氏の供奉の列に波木井南部氏の波木井長氏の子と見える波木井政氏の名もある。
  17. ^ この軍勢に南部信政が従軍した『八戸根城と南部家文書』より。
  18. ^ 『太平記』15巻より
  19. ^ この説は『南部史要』も採用している。
  20. ^ 『八戸根城と南部家文書』1P166より
  21. ^ 『八戸根城と南部家文書』P167より
  22. ^ 『八戸根城と南部家文書』P169より
  23. ^ 『太平記』第19巻
  24. ^ 『同じく南部史談会誌』などによれば、この派遣軍の中には南部信長兄弟が従い奥州に還ったとしている。
  25. ^ 八戸根城と南部家文書 p.253
  26. ^ a b 八戸根城と南部家文書 p.256
  27. ^ 新潮社版<太平記>では高階弾正惟宗の息としている。
  28. ^ これは足利氏と結んだ甲斐南部氏と区別するための太平記作者の配慮か?
  29. ^ 新潮社版<太平記>では南部常陸守としているが、太平記注釈書の<参考太平記>では南部常陸介とする。
  30. ^ 河西氏の先祖南部元時や、奥氏の南部清政、仙洞田氏の南部重清
  31. ^ 南部実政以降の伊勢南部氏系図が載る系図纂要の形式から家の系図を名のある系図に結びつける手法が採られているようなので、実政以降南部頼村までは参考系図程度に見るべきだろう。むしろ実政より波木井実長の跡としたほうが合っているし、今後の伊勢南部氏の研究対象となるだろう。
  32. ^ <太平記>の巻.26の記述の中で、同一人物とみられる南部遠江守・同次郎左衛門尉をして、南遠江守・同次郎左衛門尉とする記述がある。
  33. ^ …京都よりの信長書状『八戸根城と南部家文書』。
  34. ^ 平山(2011)、p.79
  35. ^ a b c d e 丸島(2015)、p.545
  36. ^ 下国氏(檜山安東氏)の勢力が津軽から駆逐された事により、蠣崎氏(松前氏)の分離独立、上国氏(湊安東氏)を相続・拠点移動(檜山から湊城へ)などによる安東両家の統合と秋田制圧(蝦夷の支配を放棄、秋田氏に改姓)が進む。
  37. ^ 天正20年(1500年)7月27日付豊臣秀吉朱印状南部信直宛(盛岡市中央公民館蔵) なお糠部郡は寛永11年(1634年)に北、三戸、二戸、九戸の4ヶ郡に分割された
  38. ^ 時代は下るが『各藩高並租税調帳』『藩制一覧』における弘前藩実高は287,733石
  39. ^ これによって、伊達政宗は上杉の白石城を奪取するなど功績を挙げたにもかかわらず、所謂「百万石のお墨付き」を反古にされた。
  40. ^ 千葉優 2003, pp. 59.
  41. ^ 千葉優 2003, pp. 64–65.
  42. ^ (盛岡藩初代藩主)(安信弟石川高信長男)
  43. ^ (吉次郎が事故死したため、表向きは同一人物としてすり替わった)
  44. ^ 公爵一条実輝の三男で婿養子、妻は利淳の長女の瑞子)
  45. ^ (利昭の長兄利久の長男)
  46. ^ (南部信直の実父)
  47. ^ (根城南部氏第18代当主)
  48. ^ (八戸直栄の娘、直政の妻、女大名)


「南部氏」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「南部氏」の関連用語

南部氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



南部氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの南部氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS