千手観音 千手観音の概要

千手観音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 18:44 UTC 版)

木造千手観音坐像 妙法院蔵(三十三間堂安置)国宝 鎌倉時代 湛慶作。
絹本著色千手観音像 東京国立博物館蔵 国宝 平安時代後期。

「サハスラブジャ」とは「千の手」あるいは「千の手を持つもの」の意味である。この名はヒンドゥー教ヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へんげしん)と考えられている。六観音の一尊でもある。

三昧耶形は開蓮華(満開のハスの花。聖観音の初割蓮華と対をなす)、蓮華上宝珠種字はキリーク(ह्रीः hrīḥ)[1]

眷属として二十八部衆を従える。

名称と「千手」のいわれ

「十一面千手観音」「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」「千眼千臂(せんぴ)観音」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。観音菩薩が千の手を得た謂われを述べた仏典としては、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の中に置かれた『大悲心陀羅尼』は現在でも中国や日本の天台宗禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。

千手観音の尊名は、前述の通り様々な呼び方がある。千手観音像の中には十一面ではなく、一面や二十七面の作例もある。このうち一面千手が古態と考えられ、中国現存最古の千手像とされる四川省丹稜鄭山第40号龕千手像は一面千手である。[2]日本の文化財保護法による国宝重要文化財の指定名称は「千手観音」に統一されている。

密教の胎蔵界曼荼羅で観音が配置される場所を「蓮華部」というが[3]、千手観音はその中でも「蓮華王菩薩」と称される最高位の存在になっている。京都市にある妙法院三十三間堂が、正式には蓮華王院というのはこれに由来する。

像容

坐像、立像ともにあり、実際に千本前後の手を表現した仏像もいくつか現存する。奈良市の唐招提寺金堂像(立像)、大阪府藤井寺市の葛井寺本尊像(坐像)、京都府京田辺市の寿宝寺本尊像(立像)などが知られている。像高5mを超える唐招提寺像は大手が42本で、大手の隙間に911本の小手があり、全部で953本現存する。葛井寺像は、大手が40本(宝鉢手をつくらない)、小手は1,001本で合計1041本ある[4]。小手は正面から見ると像本体から直接生えているように見えるが、実は、像背後に立てた2本の支柱にびっしりと小手が取り付けられている。葛井寺像の大手・小手の掌には、絵具で「眼」が描かれていたことがわずかに残る痕跡から判明し、文字通り「千手千眼」を表したものであった。

一般的な千手観音像は十一面四十二臂が多い。和歌山県の道成寺本尊像(国宝)と補陀洛山寺本尊像(重文)は四十四臂を持つ。敦煌で発見された大英博物館所蔵の千手観音画とギメ博物館所蔵の千手観音立像も四十四臂を持つ。[5]四十二臂の意味については、胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25の世界を救うものであり、「25×40=1,000」であると説明されている。ここで言う「25の世界」とは、仏教で言う「三界二十五有(う)」のことで、天上界から地獄まで25の世界があるという考えである(欲界に十四有、色界に七有、無色界に四有があるとされる)。俗に言う「有頂天」とは本来、二十五の有の頂点にある天上界のことを指す。

京都三十三間堂の本尊(坐像)は、鎌倉時代の仏師湛慶の代表作であるとともに、十一面四十二臂像の典型作である。42本の手の内2本は胸前で合掌し、他の2本は腹前で組み合わせて宝鉢(ほうはつ)を持つ(これを宝鉢手という)。他の38本の脇手にはそれぞれ法輪錫杖(しゃくじょう)、水瓶(すいびょう)など様々な持物(じもつ)を持つ。38手に何を持つかについては経典に述べられているが(後出)、彫像の場合は長年の間に持物が紛失したり、後世の補作に替わったりしている場合が多い。

日本における信仰と造像例

千手観音の造像例は、インドにはほとんど知られないが、中国ではユネスコ世界遺産になってる代の龍門石窟代の大足石刻などに遺例がある。日本での千手観音信仰の開始は古く、空海が正純密教を伝える以前、奈良時代から造像が行われていた。東大寺には天平年間に千手堂が建てられたことが知られ、同寺の今はない講堂にも千手観音像が安置されていた。日本における現存作例では、8世紀半ばの制作とされる葛井寺像が最古とされ、唐招提寺像も8世紀末~9世紀初頭の作品である。和歌山・道成寺の秘仏である北向本尊像の胎内からは、大破した千手観音像が発見されている。これは道成寺草創期の本尊と思われ、奈良時代に遡るものである。

その他、千手観音をまつる著名寺院としては、京都市の清水寺や三十三間堂、西国札所の粉河寺(和歌山県紀の川市)などがある。京都・清水寺本尊(立像)は、33年に一度開扉の秘仏で、42本の手のうちの2本を頭上に挙げて組み合わせる独特の形をもち、「清水型」といわれている。同じ清水寺の奥之院本尊の秘仏・千手観音像は珍しい27面の坐像である。


  1. ^ a b 『印と真言の本』学研、2004年2月、p.99
  2. ^ 山岸公基「千手観音像に関する二、三の問題 経軌と8~9世紀の中国(四川省)・日本の作例をめぐって」『シルクロード学研究11 観音菩薩像の成立と展開 変化観音を中心にインドから日本まで』P129
  3. ^ 大日如来の慈悲を表現した「胎蔵界」おさえておきたい曼荼羅の基本”. Discover Japan (2020年9月26日). 2022年6月7日閲覧。
  4. ^ 天平の秘仏、葛井寺の国宝「千手観音菩薩坐像」がついに公開!東京国立博物館(2018年2月14日)2018年3月18日閲覧。
  5. ^ 田中公明『千手観音と二十八部衆の謎』p87
  6. ^ 市川智康 他『図解・仏像の見分け方』大法輪閣、1992年、36頁。
  7. ^ 葛井寺の本尊は日本最古の千手観音像である。


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