刈谷駅 ダイヤ

刈谷駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 09:02 UTC 版)

ダイヤ

刈谷駅では日常的に普通列車と快速系統が緩急接続を行っている。

東海道本線では、上下線とも普通列車快速系統の各種別とが当駅で緩急接続できるようにダイヤが組まれている[74]。運転本数はパターンダイヤで普通列車が毎時3 - 4本、快速系統が快速新快速(日中)または新快速・特別快速(朝夕時)各2本、計7 - 8本を基本として、ラッシュ時にはその合間に快速系統が増発されるダイヤとなっている。

かつては、市民の要望もあり「大和」「雲仙」「げんかい」といった電車急行の停車駅となっていた[21]

ネットダイヤを組む三河線は普通列車が毎時4本運転されており、単線のためほとんどの列車が当駅で列車交換している。かつては東海道本線に対抗するため名古屋本線直通の特急が設定され、最盛期には毎時4本の特急が走っていたが、後に急行へ格下げされ、1981年(昭和56年)以降は普通列車のみとなった[66](詳細は三河線特急を参照)。

利用状況

駅周辺にトヨタの関連企業が多いため、JRではラッシュ時の快速列車を中心に金山 - 刈谷間では激しく混雑することがある。また両線(名鉄は主に碧南方面から)の乗り換え客も多く見られる。

『愛知県統計年鑑』、『刈谷の統計』および「移動等円滑化取組報告書」によれば、JRおよび名鉄の1日平均の利用者数は以下の通り[81][82][83]。JR、名鉄とも利用客数は増加傾向。名古屋市内駅を除く愛知県内JR駅では最多の乗降人員を誇っている。


年度 JR東海 名鉄
1日平均
乗車人員
1日平均
乗降人員
1995年(平成07年) 18,463
1996年(平成08年) 18,961
1997年(平成09年) 19,393
1998年(平成10年) 19,610
1999年(平成11年) 19,380
2000年(平成12年) 19,821
2001年(平成13年) 20,646 15,133
2002年(平成14年) 21,383 15,418
2003年(平成15年) 22,028 15,741
2004年(平成16年) 23,014 16,237
2005年(平成17年) 24,316 17,208
2006年(平成18年) 25,624 18,893
2007年(平成19年) 27,063 19,852
2008年(平成20年) 28,297 21,131
2009年(平成21年) 27,490 20,890
2010年(平成22年) 28,071 21,080
2011年(平成23年) 28,770 21,777
2012年(平成24年) 29,915 22,859
2013年(平成25年) 31,359 24,396
2014年(平成26年) 31,918 24,803
2015年(平成27年) 33,022 26,097
2016年(平成28年) 33,916 26,711
2017年(平成29年) 35,077 27,483
2018年(平成30年) 36,032 28,123
2019年(令和元年) 36,528 28,655
2020年(令和02年) 36,527 21,571

このほか、名古屋鉄道による名鉄刈谷駅の統計として以下のものがある。三河線の駅では、知立駅、豊田市駅に次いで3番目に利用客が多い。

  • 『名鉄120年:近20年のあゆみ』によると2013年度当時の1日平均乗降人員は24,395人であり、この値は名鉄全駅(275駅)中13位、 三河線(23駅)中3位であった[84]
  • 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は16,212人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中25位、 三河線(38駅)中3位であった[85]
  • 『名鉄 1983』によると、1981年度当時の一日平均乗降人員は12,924人であり、この値は名鉄全駅中27位であった[86]
  • 『創立70周年記念 今日と明日の名鉄』によると、1960年度当時の一日平均乗降人員は14,496人であり、1963年度の値は17,858人であった[87]

駅周辺

駅周辺には市街地が形成されており、その外側にトヨタグループの本社や工場が林立している。豊田系工場が駅周辺に集積することで、豊田系以外の関連企業も取引上の利便性から駅周辺に工場を設けた事例が多い[88]

このほか、かつては東芝炉材(現・クアーズテック)や日本陶管といった窯業系の工場も交通の利便性から[88]駅南に工場を構えていたが、現在は移転・撤退している。

刈谷市は日本陶管刈谷工場閉鎖後の再開発に当たり、先端技術研究機関や百貨店、マンション、ホテル、公共施設、量販店など様々な案を立てては断念を繰り返してきたが[36]、最終的にはショッピングセンターバロー)と公共施設(刈谷市総合文化センター。老朽化した市民ホールの機能移転)、マンション(パークホームズ刈谷サザンゲート)、立体駐車場で構成される「みなくる刈谷」として整備された[31]

東芝炉材は周辺の市街化や公害問題をきっかけに、工場を小垣江へ移転した[89]1966年(昭和41年)には名古屋の不動産業者らによって跡地に「葵百貨店」を建設、開店したものの、営業者の誘致に失敗して建物(鉄筋コンクリート5階・地下1階建て)の半分しかテナントが埋まらず、1969年(昭和44年)3月には早くも閉店してしまった[90]。その後、西川屋(現・ユニー)が百貨店ビルを買収し、1969年(昭和44年)10月に「ハイライフ・アベニュー」の名で開店[91]。後にSC名を「サンテラス刈谷」に変えるなど数度の改装を経て、現在はアピタ刈谷店となっている。

1978年(昭和53年)4月に、東海道本線と名鉄三河線の間に神田駐車場を開設した[92]。これは都市整備の過程で駅周辺の一方通行・駐車禁止などの交通規制が強化されたため[93]、その代替として公共駐車場の必要性が高まったためである。開設当初は駐車料金の問題もあって利用者は少なかったが、次第に増加した[92]

刈谷北口周辺には刈谷駅前商店街があり、居酒屋などの飲食店が軒を連ねている。また、風俗店も多く、小規模な風俗街を形成している。

駅西側にあるJRの踏切は刈谷街道と交差するもので、名称も刈谷街道踏切である。

主な施設

北口
南口
駅西
  • 東陽町2丁目・南桜町2丁目(旧・東芝炉材刈谷工場)
    • 日本生命刈谷ビル(旧・葵百貨店 → 刈谷ハイライフ・アベニューA館ハウジングセンター → サンテラス刈谷A館)
    • アピタ刈谷店(旧・刈谷ハイライフ・アベニューB館ファッションセンター → サンテラス刈谷B館)
    • アピタ刈谷店立体駐車場(旧・刈谷ハイライフ・アベニューC館レジャーセンター → ユニー刈谷ニューボウル)
  • 南桜町1丁目(旧・名古屋鉄道刈谷工場
    • 名鉄観光バス刈谷支店
    • アピタ刈谷店南側立体駐車場
    • 名鉄スイミングスクール刈谷校
  • 刈谷市役所
  • トヨタ紡織本社・刈谷工場
  • 豊田自動織機本社・刈谷工場
  • 愛知製鋼刈谷工場

バス路線

南口に停車中の知多シーガル号

刈谷市内の市営バスは無料である。

北口
南口

注釈

  1. ^ 現在のトヨタ紡織。戦時中にトヨタ自動車工業へ合併したが、戦後に民成紡績として再分離。以後豊田紡織、トヨタ紡織と改名した。
  2. ^ 衣浦の奥に位置する刈谷は古くから陸路・海路の結節点となっており、碧海西部から知多東浦までの物資が刈谷に集まっていた。知多方面は武豊線の開通で既に物資の流れが変化していたが、それまで農村だった安城が駅設置によって発展し、ついに碧海郡役所をも設けるに至ったことで、刈谷の物流はほとんど東西に分散される結果となった。(『刈谷市誌』p.489)
  3. ^ 電気機関車の時代、刈谷 - 名古屋間の所要時間は快速25分、普通37分であったのが、湘南型電車になって快速19分、普通28分となった。(『刈谷市史』4巻, p.288)
  4. ^ 電化によって貨車入れ替え作業を大府駅の旧設備で行えなくなったため、刈谷駅に新しい入れ替え線等を設けることになった。この設備改良で刈谷街道踏切から名古屋方50mまでが刈谷駅構内となり、踏切が駅構内に入ったことで遮断回数や遮断時間が増加した。(『刈谷市史』4巻, p.242)
  5. ^ 刈谷駅南口再開発の遅延は他地区の再開発にも影響を及ぼした。例えば、旧市街に当たる刈谷新栄地区の再開発では当初ダイエー等の大型商業店舗の出店を模索していたが、刈谷駅南口再開発で商業開発案が浮上したことで競合してしまい、交通面で劣る新栄地区は誘致が難しくなり、最終的に再開発を断念している。(『刈谷市史』4巻, p.551)
  6. ^ 下りの当駅始発も使用する。
  7. ^ 名鉄公式サイトにおいては「三河線(知立〜碧南)」と表記される[78]

出典

  1. ^ 刈谷市 2011, p. 29.
  2. ^ a b c 川島 2009, p. 75.
  3. ^ a b c 徳田 2003, p. 45.
  4. ^ 徳田 2003, p. 44.
  5. ^ a b 刈谷市 1993, p. 274.
  6. ^ a b c d 刈谷市 1993, p. 275.
  7. ^ a b c d e f g h i 刈谷市 1960, p. 489.
  8. ^ a b c d 刈谷市 1993, p. 276.
  9. ^ 刈谷市 1993, p. 465.
  10. ^ 新實 2001, p. 142.
  11. ^ 新實 2001, p. 152.
  12. ^ 刈谷市 1990, p. 4.
  13. ^ a b 刈谷市 1993, pp. 373–374.
  14. ^ 木節粘土”. コトバンク. 2020年11月13日閲覧。
  15. ^ 神谷 2000, p. 144.
  16. ^ 刈谷市 1960, p. 366.
  17. ^ 刈谷市 1993, p. 545.
  18. ^ 刈谷市 1993, p. 547.
  19. ^ 刈谷市 1990, p. 302.
  20. ^ 刈谷市 1990, p. 91.
  21. ^ a b c d e 刈谷市 1990, p. 288.
  22. ^ 刈谷市 1990, pp. 289–290.
  23. ^ a b c d 刈谷市 1990, p. 290.
  24. ^ 刈谷市 1990, pp. 240–241.
  25. ^ a b c d 刈谷市 1990, p. 291.
  26. ^ 刈谷市 1990, pp. 242–244.
  27. ^ a b 刈谷市 1990, p. 614.
  28. ^ a b 刈谷市 1990, p. 615.
  29. ^ a b c d 刈谷市 1990, p. 616.
  30. ^ a b c 刈谷市 1990, p. 619.
  31. ^ a b 中部支社 都市再生の取組み”. UR都市機構. 2013年12月20日閲覧。
  32. ^ 刈谷市 1990, p. 326.
  33. ^ 刈谷市企画課 1993, p. 51.
  34. ^ 刈谷市 2002, p. 35.
  35. ^ 刈谷市 1990, p. 483.
  36. ^ a b 石原 2000,p. 17
  37. ^ a b c 市長のメッセージ(2008年11月) /記事のアーカイブ:Archive.is (23 Jul 2012)、2013年12月8日閲覧)
  38. ^ 刈谷市 1993, p. 327.
  39. ^ 刈谷市 1993, p. 278.
  40. ^ a b c 刈谷市 1993, p. 279.
  41. ^ 刈谷市 1993, p. 468.
  42. ^ 刈谷市 1993, p. 469.
  43. ^ a b 神谷 2000, p. 231.
  44. ^ a b 今尾 2008,p. 45
  45. ^ 刈谷市 1995, p. 354.
  46. ^ 新實 2001, p. 157.
  47. ^ 水野 1971, p. 67.
  48. ^ 刈谷市 1990, p. 287.
  49. ^ 刈谷市 1995, p. 410.
  50. ^ 刈谷市 1990, p. 240.
  51. ^ a b c 刈谷市 1990, p. 289.
  52. ^ 刈谷市 1995, p. 415.
  53. ^ 刈谷市 1990, pp. 291–292.
  54. ^ a b 刈谷市 1990, p. 242.
  55. ^ a b 刈谷市 1995, p. 427.
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  57. ^ 刈谷市 1995, p. 440.
  58. ^ 清水 1971,p. 64
  59. ^ 水野 1971, p. 65.
  60. ^ a b 神谷 2000, p. 235.
  61. ^ a b 今尾、原 2010,p. 51
  62. ^ 刈谷市 1995, p. 489.
  63. ^ 交通年鑑昭和48年度内「交通日誌」
  64. ^ “二駅に旅セン開設 名鉄”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1972年11月3日) 
  65. ^ 中西 1979,p. 32
  66. ^ a b c 神谷 2000, p. 236.
  67. ^ 新實 2001, p. 163.
  68. ^ 刈谷市 1995, p. 542.
  69. ^ “4駅でも使用開始 JR東海自動改札機導入進む”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1992年4月18日) 
  70. ^ 刈谷オフレールステーションの開業について』(PDF)(プレスリリース)日本貨物鉄道、2005年9月14日。 オリジナルの2021年3月17日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20210317083753/https://www.jrfreight.co.jp/storage/upload/fff2f52dacdca55006a8426f3e34767e.pdf2021年3月17日閲覧 
  71. ^ [1]
  72. ^ a b c d e f g 【社長会見】東海道本線 刈谷駅の改良について ~ホームの幅を拡げ、可動柵を設置します~』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2019年7月24日。 オリジナルの2020年4月3日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20200403135834/https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000039739.pdf2020年4月3日閲覧 
  73. ^ a b 『週刊 JR全駅・全車両基地』 04号 名古屋駅・古虎渓駅・美濃赤坂駅ほか77駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年9月2日、22頁。 
  74. ^ a b 川島 2009, p. 40.
  75. ^ 刈谷市議会建設委員会、2019年6月6日
  76. ^ 清水武「名古屋鉄道各線相互の直通運転」『鉄道ピクトリアル』第246巻、電気車研究会、1971年1月、64頁。 
  77. ^ 太田貴之「輸送と運転 近年の動向」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、38頁。 
  78. ^ 三河線(知立〜碧南) 路線・駅情報 - 電車のご利用案内、2021年10月3日閲覧
  79. ^ a b 刈谷(MU02)(かりや) 路線一覧”. 名古屋鉄道. 2021年10月3日閲覧。
  80. ^ 川島 2009, pp. 12–13.
  81. ^ 愛知県統計年鑑 - 愛知県
  82. ^ 刈谷の統計 - 刈谷市
  83. ^ 移動等円滑化取組計画書・報告書 - 名古屋鉄道
  84. ^ 名鉄120年史編纂委員会事務局(編)『名鉄120年:近20年のあゆみ』名古屋鉄道、2014年、160-162頁。 
  85. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。 
  86. ^ 名古屋鉄道(編集)『名鉄 1983』名古屋鉄道、1983年、36頁。 
  87. ^ 名古屋鉄道PRセンター(編集)『創立70周年記念 今日と明日の名鉄』名古屋鉄道、1964年、5頁。 
  88. ^ a b 刈谷市 1990, pp. 207–209.
  89. ^ 刈谷市 1990, pp. 323–324.
  90. ^ 刈谷市 1990, p. 410.
  91. ^ 刈谷市 1990, p. 411.
  92. ^ a b 刈谷市 1990, pp. 400–402.
  93. ^ 刈谷市 1990, p. 366.






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