ユニテリアン・ユニヴァーサリズム 日本宣教

ユニテリアン・ユニヴァーサリズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 09:48 UTC 版)

日本宣教

同仁キリスト教会(東京都文京区)

ユニテリアン・ユニヴァーサリズムの宣教の前段階がキリスト教プロテスタントの宣教であるので全体の流れを説明する[注釈 1]

江戸時代、プロテスタントの商人らは布教を行わないことで長崎貿易を認められていたところ、江戸幕府は1967年、長崎のカトリック信者(キリシタン)に対し浦上四番崩れなどの弾圧を行い、キリスト教を信仰する諸国から激しい非難を受けた。

明治維新後の1869年(明治2年)、アメリカン・ボードダニエル・クロスビー・グリーン宣教師夫妻が来日し[5]アメリカ長老派教会アメリカ・オランダ改革派教会合衆国ドイツ改革派教会スコットランドの長老派教会などの諸教派が共同して福音伝道活動を開始した。

1872年にはジェームス・ハミルトン・バラ宣教師によって横浜日本基督公会が設立され、1873年(明治6年)にはキリシタン禁制が解除された。フルベッキ宣教師が日本政府左院の翻訳顧問となり、グリーン牧師やジェームス・カーティス・ヘボン宣教師らとともに新約聖書翻訳に取り組んだ[6]。1874年創立の神戸の摂津第一公会は、当初から会衆制を採った[7]

1874年には米国聖公会チャニング・ウィリアムズ宣教師が、築地立教学校(のちの立教大学)を創設。

1877年には日本基督公会を継承した日本基督一致教会が設立される。各教派の宣教師達は日本を地理的に分割して伝道を担当し、改宗者を全て日本基督一致教会に加入させた。諸教派には熊本バンド出身の伝道者も加わり、関西、群馬、岡山、愛媛など各地に教会が設立された。

1878年、アメリカン・ボードが開拓伝道や協力活動のための日本基督伝道会社を結成する。

1879年には日本基督一致教会で、横浜バンド植村正久押川方義、また井深梶之助田村直臣按手礼を受けて牧師となる[注釈 2]

1880年にはイギリス発祥のキリスト教青年会(YMCA)の日本支部が設立。

1885年(明治18年)、ドイツからウィルフリード・スピンナー宣教師が来日し普及福音教会や普及福音新教神学校を開く一方、1886年には、諸派の合同で日本組合基督教会が設立された。

1887年(明治20年)12月には福澤諭吉司法大臣金子堅太郎らの招聘により、アメリカ・ユニテリアン協会からハーバード大学出身のアーサー・メイ・ナップ牧師が来日し、ユニテリアン主義の布教が始まる[8]。ユニテリアンは1894年、明治維新江戸薩摩藩邸の焼討事件の跡地にジョサイア・コンドル設計の「ユニテリアン・ホール」を建てて布教を開始し、「統一教会」[注釈 3]、「統一教会神学校」も設立されたが、のちにはYMCAとの摩擦が生じたこともあった[9]。植村正久の日本基督教会など17の団体がユニテリアン主義者を擁していた[10][11]

1890年(明治23年)にはアメリカのアメリカ・ユニヴァーサリスト協会英語版の本部から宣教師ジョージ・ペリンが来日し、同年末に東京飯田町に中央会堂を建した。中村正直らの勧告によって、宇宙神教と訳されたが、1909年(明治42年)には「日本同仁教会」と改称された。

1897年にはドイツの普及福音教会が東京に東郷坂教会を設立し、ユニヴァーサリズム英語版を支持する赤司繁太郎が1946年まで牧師を務めた[12][13]

1910年日韓併合時より、日本組合基督教会は朝鮮総督府から巨額の資金援助を受け、渡瀬常吉を派遣して朝鮮植民地伝道を繰り広げた[14]。1912年には教職者142人、教会数91、教会員17816人となり、1920年代ごろからは天皇制を賛美した。

1941年、日本同人協会は日本基督教団に吸収合併された。

戦後、日本同人協会や日本キリスト教会は日本基督教団から離脱した。日本同人協会は現在、基督教同仁社団・同仁キリスト教会として活動し、幼稚園なども運営している。


  1. ^ プロテスタント拡大の始期は、16世紀の神聖ローマ帝国(ドイツ)のハプスブルク家カール5世の治世にザクセン選帝侯領で始まった宗教改革ユトレヒト司教領の接収、また、世界貿易の要地フランドルを擁するネーデルラント北部の蜂起によるオランダの宗教改革などの時代である。
  2. ^ 植村正久は日本基督教会、子の植村環は戦後に日本キリスト教会柏木教会を設立した。
  3. ^ 戦後の統一教会とはやや異なる。
  1. ^ 米国の国勢調査ではキリスト教に含まれず「その他の宗教」に分類されている。- 八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』p181,朝日新聞出版,2012年
  2. ^ News Release From Carole Keeton Strayhorn
  3. ^ Cultural Appropriation: Reckless Borrowing or Appropriate Cultural Sharing
  4. ^ When Worship Becomes Cultural Misappropriation, September 15 2007, UU Interconnections
  5. ^ 渡瀬常吉『朝鮮教化の急務』警醒社書店1913
  6. ^ 『日本キリスト教歴史大事典』 教文館1988年
  7. ^ 茂義樹『明治初期神戸伝道とD・C・グリーン』新教出版社
  8. ^ 友愛労働歴史館「ユニテリアン・ミッションのスタートから130年、明治22年10月!」。2022年10月30日閲覧。
  9. ^ 岡田哲藏「統一敎會と靑年會同盟の問題」、〈日本基督教青年会同盟「開拓者8巻8号」〉。1913年。
  10. ^ 高楠順次郎杉浦貞二郎他『世界聖典全集』、世界聖典全集刊行會編。1930年。
  11. ^ オダミツオ「出版・読書メモランダム」 (2017年). “古本夜話667 杉浦貞二郎と「基督教各派源流」”. hatenablog. 2021年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月22日閲覧。
  12. ^ Kirchengrundung - Kirchenbau, Kreuzkirche Tokyo。
  13. ^ 赤司繁雄『自由基督教の運動―赤司繁太郎の生涯とその周辺』。朝日書林。1995年。
  14. ^ 中村敏『日本人による海外宣教の歩み』関西ミッション・リサーチ・センター 日本福音同盟


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