マドセン機関銃 マドセン機関銃の概要

マドセン機関銃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/17 06:56 UTC 版)

マドセン軽機関銃
マドセン軽機関銃および予備弾倉
概要
種類 軽機関銃
製造国  デンマーク
設計・製造 Compagnie Madsen A/S / Dansk Rekyl Riffel Syndikat A/S
性能
口径 6.5mmから7.92mm 各種存在
銃身長 584mm
使用弾薬 7x57mm マウザー
6.5x55mm弾
7.92x57mmモーゼル弾
7.62x54mmR
7.62x51mm NATO
.303ブリティッシュ弾[1]
装弾数 25、30、40発箱形弾倉
作動方式 ロングリコイル
全長 1,143mm
重量 9.07kg
発射速度 450発/分
銃口初速 870m/s(6.5x55mm)
有効射程 550m(600ヤード
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20世紀の初頭に開発された機関銃で、設計当初から“軽機関銃”(兵士が手で運搬できる、攻勢的な運用のできる機関銃)として開発されたものとしては世界最初のものである。

“マドセン機関銃”の名は、製造メーカー、およびデンマークを始めとして世界各国に採用を働きかけたデンマークの大臣の名に因む。

概要

本銃は軽機関銃と呼ばれる兵器の中で最初期のものの一つであり、世界の34ヶ国に広まった。また、80年以上に渡って世界中の様々な戦争や紛争において広汎に戦闘に投入された[2]

開発国のデンマークを始め、広く世界中の国や武装組織に導入されて用いられ、1900年代の初頭から、メキシコ革命日露戦争第一次世界大戦国共内戦チャコ戦争、そして第二次世界大戦といった20世紀初頭から中盤までに発生した多くの戦争で使用され、第二次世界大戦後も多数の国や組織で装備され続けた。

21世紀に至ってもブラジルの警察組織で現役で使用されていることが、2009年に撮影された報道写真で確認されている(後述「#ブラジルでの継続使用」の節参照)。

開発とその経緯

設計が行われたのは1880年代のことで、1864年第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争において、特に激戦として知られるドゥッブル堡塁の戦いに際して、数に勝る敵軍に対しては、防衛側が有利とされる陣地防御戦闘であっても、火力、特に歩兵部隊の個人火力に劣っていては劣勢を免れない、という経験と戦訓をデンマーク軍が得たことに起因している。これに対処するためには大砲砲兵部隊)の増勢だけではなく歩兵部隊の火力を増大させることが必要で、兵士が用いる小銃を連射できるものとする必要がある、という結論が出され、「自動連発が可能な小銃」もしくは「小銃より多少大きく重い程度の連射火器」の開発が急務である、とされた。

上述の結論に基づいてデンマークにおいて開発されたものに、"Forsøgsrekylgevær"(「自己装弾小銃」の意)”として開発された半自動式の小銃があった。これは1883年、デンマーク軍の砲兵将校であったヴィルヘルム・H・O・マドセン(Willhelm H. O. Madsen)大尉によって発案され、国営兵器工廠廠の技官であるユリアス・A・ラスムッセン(Julius A. Rasmussen)によって設計された。この“自己装弾小銃”は1886年に試作品が完成、1887年にはデンマーク軍より試験用に70丁が発注され、1888年には"M.1888 Forsøgsrekylgevær"として制式採用された。このM.1888が、半自動式ながら世界最初の自動小銃であり、世界最初の制式自動小銃である。

1889年、彼らの所得した特許は投資家によって買い取られ、この画期的な武器を製造するための共同事業体企業合同)としてDRS(Dansk Rekyl Riffel Syndikat A/S, 後にはDansk Industri Syndikat A/Sに改名)が創設された。W・マドセン自身は軍務のために事業からは離れざるをえなかったが、その傘下の開発製造部門として1900年に設立された会社には出資し、マドセン社(Compagnie Madsen A/S, 後にDRSがA.P. モラー・マースクの傘下に入った際に統合された)を設立した。

1892年、デンマーク陸軍は「要塞防衛用兵器」としてM.1888の10発装弾板式の装弾数を20発弾倉式とした改良型を発注したが、200丁の発注に対して86丁が納入されたのみである。

1896年、M.1888に注目したデンマーク海軍は、DRSに対し、海兵隊用のカービン銃としてM.1888を軽量小型に改修し、10発装弾の弾倉式とした新型小銃を求めた。この要求に対し、1899年にDRSの責任者となったテオドル・ショービュー(Theodor Schoubue)中尉は、1888年式自己装弾ライフルに独自の改良を加えて幾つかの特許を取得し、ショービューにより改良されたM.1888は"M.1896 Forsøgsrekylgevær"として採用された[注釈 1]。M.1896は1896年に60丁+がデンマーク海兵隊に納入され、翌1897年には海軍要塞の防衛兵器として50丁が追加発注されて納入されている。

M.1888、M.1896共にその火力の高さは高評価であったものの、実際に使用した陸軍および海兵隊からは、装弾数の物足りなさや、連続射撃時の耐久性の低さといった点が指摘され、ショービューはM.1896を元に、小銃ではなく機関銃として発展させた設計とし、1901年には新たな特許を所得した。同年、デンマーク軍事担当大臣に就任したW・H・O・マドセンはこれを採用するよう働きかけ、ショービューの設計した機関銃は1902年にはデンマーク陸軍に採用された。マドセンはデンマーク以外の各国にも積極的に採用を働きかけ、この軽機関銃は製造会社名、更には各国に採用を働きかけるために積極的にセールスを行ったマドセンにちなんで“マドセン機関銃”(デンマーク語: Madsen-maskingeværet, 英語: Madsen MachineGun)と名付けられた。

設計

マドセン機関銃の作動サイクル図。下から順に弾薬の装填、閉鎖・撃発、空薬莢の抽出を示す。

マドセン機関銃は他の自動火器に用いられない、珍しくてより精巧な作動機構を持っている。本銃は、反動利用の閉鎖システムと、ヒンジ様のボルトを融合した機構を使用する。これはピーボディ・マルティニー小銃のレバーアクション式薬室閉鎖装置にならった構造であった[2]。この反動利用方式はショートリコイルとロングリコイルを混用した機構を採用している。実包の発射後、最初の反動の衝撃は銃身、バレルエクステンション、ボルトを後方へ駆動させる。ボルト右側面に設けられたピンが、機関部右側面に装備された作動用カムプレートの溝に沿って後退する。12.7mmの移動の後、ボルトはカムにより上方へ上げられ、遊底から解放される。これは反動利用のうち、ショートリコイルの部分に相当する。銃身およびバレルエクステンションは、薬莢および弾頭の全長をわずかに超える点まで、後方への駆動を続ける。これは反動利用のうちロングリコイルの部分に相当し、本銃の低い発射速度の原因となっている。

ブリーチが露出した後、銃身下部に装着されていた、変わった形のレバー様をしたエキストラクター兼エジェクターが後方へと回転する。これは空薬莢を抽出し、機関部底部を通して排莢する。それからボルトの作動カムは、ボルトに下側のピボットへ面するよう圧迫し、ボルト左側面の弾薬供給溝と薬室が一列になるよう並べる。ボルトと銃身が前進して元へと戻る間、バレルエクステンション左後方に装備された給弾レバーは前方へと回転し、新しい弾薬を装填する。

弾倉はレシーバーの真上ではなく、左上に挿入される。弾倉の先端には先頭の弾薬を保持するためのリップが無く、その代わりとして側面に板バネ状のクリップが取り付けられている。弾倉を銃へ差し込むと、挿入口に当たったクリップが開いて弾薬を解放する。弾薬はレシーバーの左側面から機関部の中へ送り込まれ、射撃後の空薬莢や手動で抜かれた未発射弾は機関部の真下へ排出される。


注釈

  1. ^ このため、前述のM.1888がM.1896と共に“マドセン-ラスムッセンライフル(Madsen-Rasmussen Rifle)”と呼ばれることに対し、しばしばM.1896を特定的に指して“ショービューライフル(Schoubue Rifle)”と呼ぶことがある。

出典

  1. ^ a b c Karl Martin, Irish Army Vehicles, Transport & Armour Since 1922, Karl Martin 2002.
  2. ^ a b c Kokalis, Peter. Weapons Tests And Evaluations: The Best Of Soldier Of Fortune. Paladin Press. 2001. pp15?16.
  3. ^ deactivated-guns.co.uk: Madsen machine gun
  4. ^ An Outline History of the Paraguayan Army Archived 2012年2月11日, at the Wayback Machine.
  5. ^ Kirk Jr., William A. (2003年3月12日). “Brazil”. Tanks! Armoured Warfare Prior to 1946. Florida State University. 2009年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月21日閲覧。
  6. ^ Holm, Terje H. (1987) (Norwegian). 1940 – igjen?. Oslo: Norwegian Armed Forces Museum. p. 26. ISBN 82-991167-2-4 
  7. ^ View from the trenches ASL journal Issue 31 May-Jun 2000
  8. ^ Jaklin, Asbjorn (2006) (Norwegian). Nordfronten - Hitlers skjebneomrade. Oslo: Gyldendal. p. 32. ISBN 978-82-05-34537-9 
  9. ^ Abbott, Peter (2005). Modern African Wars (2): Angola and Mozambique 1961–1974. Oxford: Osprey Publishing. p. 7. ISBN 978-0-85045-843-5 
  10. ^ Madsen Light Machine Gun website
  11. ^ News article about Argentine guns found with drug dealers[リンク切れ] (ポルトガル語)
  12. ^ Strategy Page on Madsen guns.
  13. ^ Photo slideshow on clash between Brazilian police and drug traffickers.
  14. ^ a b Gander, Terry J.; Hogg, Ian V. Jane's Infantry Weapons 1995/1996. Jane's Information Group; 21 edition (May 1995). ISBN 978-0710612410.
  15. ^ Lugosi, Jozsef (2008). “Gyalogsagi fegyverek 1868?2008”. In Lugosi, Jozsef; Marko, Gyorgy. Hazank dics?segere: 160 eves a Magyar Honvedseg. Budapest: Zrinyi Kiado. p. 382. ISBN 978-963-327-461-3 


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