ボン・ジョヴィ
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来歴
ヴォーカルでリーダーであるジョン・ボン・ジョヴィは、両親の影響からレコーディングスタジオでアルバイトを始め、16歳から知り合いで同い年のデヴィッド・ラッシュバウム(デヴィッド・ブライアン)らとバンドを結成し、レコーディングスタジオが使われない深夜の時間にレコーディングを行いデモを作成し、主に地元のニュージャージー州でライヴ活動を行っていた。1983年になるとアレック・ジョン・サッチが参加。彼がティコ・トーレスを連れてきてライヴ活動に参加した。その後、ジョン・ボン・ジョヴィ&ジ・ワイルド・ワンズとしてのショウを観に来ていたリッチー・サンボラがデイヴ・セイボに代わってバンドに加入し、デビュー時のメンバーが揃った[13]。
1984年 - 1991年
1984年、ファーストアルバム『Bon Jovi』(邦題:夜明けのランナウェイ)をリリース。
この年、バンドはスコーピオンズのサポートとして北米ツアーに帯同、キッスのサポートとしてヨーロッパツアーに帯同した。
また,8月4日から12日にかけて行われたSUPER ROCK '84 IN JAPANに出演し,初来日ライブを開催した。
1985年、 2ndアルバム『7800° Fahrenheit』を発表。タイトルの「7800°」とは、岩(ロック)も溶けてしまう温度。
アルバムに収録されている「TOKYO ロード」は、日本のファンへ感謝の意を込めて作られた。なお、本作からデヴィッドはラッシュバウムからブライアンに改名している。
バンドはアルバム発表直後に来日し、バンド初の単独公演を日本で開催した[14]。その後、ヨーロッパツアーを行い、イギリスのドニントン・パークで開催されたロック・フェスティバル『モンスターズ・オブ・ロック』に出演。その後、ラットのサポートとして北米ツアーに帯同する。
1986年、プロデューサーにブルース・フェアバーンを迎えて制作された3rdアルバム『Slippery When Wet』(邦題:ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)を発表。その後、西ドイツ(当時)のニュルンベルクで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』に出演、38スペシャルのサポートアクトとして全米ツアーを敢行。このツアー中にアルバムがBillboard 200で1位を獲得し(8週連続)[3]、シングル「You Give Love A Bad Name」(禁じられた愛)、「Livin' On A Prayer」もBillboard Hot 100で1位となり、バンドは一躍有名になった[4]。
1987年は年始からワールド・ツアーを開始。8月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン3日間公演を行い、イギリスのドニントン・パークで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』にはヘッドライナーとして出演した。9月には日本公演を行った。10月のツアー終了までにアルバム『Slippery When Wet』は全世界でおよそ1800万枚セールスしたとされている[14]。
1988年9月、4thアルバム『New Jersey』(ニュージャージー)を発表。Billboard 200・全英アルバムチャートで1位を獲得[3][15]。シングル「Bad Medicine」(バッド・メディシン)と「I'll Be There For You」(アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー)もBillboard Hot 100で1位を獲得[4]。8月にはモスクワで開催された『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演。オジー・オズボーン、モトリー・クルー、スコーピオンズ・スキッド・ロウらと共演した。9月にはジョンとリッチーがMTV Video Music Awards授賞式で「Livin' On A Prayer」と「Wanted Dead Or Alive」をアコースティック・アレンジでパフォーマンス[16]。これを機にMTVが『MTVアンプラグド』を制作し、放送が開始された[17]。
1990年、2年に及ぶロング・ツアーが2月に終了。合計で300を超える公演を行った。連日のハードスケジュールでメンバーが消耗しきってしまい、疲労とストレスからメンバー間の口論やトラブルも多くなり、メディアでは解散が噂される様になる[14]。8月にジョンは映画『ヤングガン2』にインスパイアされて制作したソロ・アルバム『Blaze Of Glory』(ブレイズ・オブ・グローリー)を発表。Billboard 200で1位を獲得する。シングル「Blaze Of Glory」もBillboard Hot 100で1位となった[18]。12月、解散騒動の最中、地元ニュージャージー州のカウント・ベイシー シアターでクリスマス・チャリティー・コンサートを開き、以後この時期のチャリティー・コンサートは恒例となる。しかし、ボン・ジョヴィの本格的な活動再開にまでは至らなかった。9月にはリッチーが1stソロ・アルバム『Stranger In This Town』を発表する。そして、同年秋にメンバーがバハマ諸島でバンドについて話し合いの場を設け、数年間ツアーやアルバム制作を一旦中止し、全員で休養を取ることに合意し、そこから再度アルバム制作をすることを誓い合った[19]。
1992年 - 1999年
1992年、新しくマネージメント会社BJM(ボン・ジョヴィ・マネージメント)を設立。プロデューサーにボブ・ロックを迎えて制作された5thアルバム『Keep The Faith』を発表。アメリカではオルタナティブ・ロックが全盛期であったが、Billboard 200最高位5位と健闘し[3]、全英アルバムチャートでは1位を獲得した[15]。
1993年のツアーでは、全2作で設定された公演数の約半分以下にし70回程度の公演数に抑えた。
1994年10月、初のベスト・アルバム『Cross Road』を発表した。これまでのヒット曲に加えて、2曲の新曲「Someday I'll be Saturday night」「Always」を収録。アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「Livin' On A Prayer」をアコースティック調にリメイクした「Prayer '94」が、日本盤には「TOKYO Road」が、インターナショナル盤には「In These Arms」が収録された。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得し[15]、日本では初となるオリコンチャート1位を獲得し[20]、ミリオンセラーとなった[21]。新曲「Always」はBillboard Hot 100最高位4位とヒットした[4]。ところが、『Cross Road』発売と同時期にアレックの脱退が発表される。理由は「もっと自分の生活を楽しみたい」というものであった[22]。後任のベーシストには、メンバーの旧友であるヒュー・マクドナルドをサポート・メンバーに迎えた。
1995年5月、福岡・西宮(兵庫県)・東京で日本公演を開催し、チケット代の一部を同年に発生した阪神・淡路大震災の被災者義援金として寄付した[23]。6月に6thアルバム『These Days』を発表。全英アルバムチャート1位を獲得[15]。ツアーはロンドンのウェンブリー・スタジアム3日間公演など大規模なコンサートを開催した。一方、メンバー個人の活動としてジョンは俳優業を本格的にスタートしており、9月には映画デビュー作『ムーンライト&ヴァレンチノ』が公開された。ティコは絵画・彫刻アーティストとしてニューヨークなど数か所で個展を開催した[23]。7月のツアー終了はバンド活動を休止し、ソロ活動となった。年末にはジョンの初主演作『妻の恋人、夫の愛人』が公開された。
1997年、ジョンは6月にアルバム『Destination Anywhere』を発表。リッチーは12月に2ndアルバム『Undiscovered Soul』を発表した。デヴィッドは1994年発表の『On A Full Moon』に続く2ndアルバム制作を進めていた矢先に指に大怪我を負ってしまい、およそ2年間治療とリハビリの生活を強いられることになった。
1999年、ジョンは映画「アルマゲドン」のサウンドトラックへ楽曲を提供。チャリティの為にRolling Stonesの「It's Only Rock N' Roll」を多彩なアーティストが歌うレコーディングへ参加。
その後、バンド活動再開。映画『エドtv』主題歌に「Real Life」を提供(デヴィッドは不参加)。6月から本格的なレコーディングがスタートする。
2000年 - 2011年
2000年5月、およそ5年ぶりとなる7thアルバム『Crush』を発表。アルバムのプロデューサーにルーク・エヴィンを迎えた。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得[15]。リード・トラックのシングル「It's My Life」はボン・ジョヴィの新たなアンセムとしてヒットした。7月から開催されたワールド・ツアーは日本からスタートし、4大ドームツアーを行った[24]。8月にはウェンブリー・スタジアムで、解体前最後のコンサートを開催した[25]。
5月には初のライブ・アルバム『One Wild Night Live 1985-2001』を発表。7月には地元ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムでツアー最終公演を行った。9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こると、各チャリティー活動に参加した。
2002年2月、ソルトレイクシティオリンピック閉会式でパフォーマンス。9月にはニューヨークのタイムズスクエアで開催されたイベント『NFL Kickoff Live From Times Square』にヘッドライナーとして出演[26]。
その後、8thアルバム『Bounce』を発売。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けたアルバムとなった[27]。
アルバム「バウンス」発表当日の2002年9月11日ZEPP東京で行われた招待客のみのスペシャル・ライヴを行う。これは日本のファンに小さな箱で必ずライヴをする、と約束していたからで、敢えてアメリカ同時多発テロから1年のこの日に行われた。このライヴはアルバム「バウンス」を予約すると応募券が付いており、その応募で当選した人のみのスペシャルライヴだった。他に札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡にて衛星生中継された。因みにこの衛星生中継は、アルバムBOUNCE予約者の中から抽選で各地300名が招待された。
2003年、『第37回スーパーボウル』にてパフォーマンス[28]。6月にはアイルランド共和国ダブリンで開催された『第11回スペシャルオリンピックス夏季大会』開会式に出席してパフォーマンス[28]。ロンドンではハイド・パーク公演を開催した。ワールド・ツアーは、8月のジャイアンツ・スタジアム公演で終了した。10月には、これまでの曲をアレンジしたアルバム『This Left Feels Right』を発表。1月に行った横浜公演のライヴ音源をボーナス・トラックに収録している。
2004年、デビュー20周年とトータルセールス1億枚突破を記念して、デモ音源や未発表音源を多数収録した4枚組ボックス・セット『100,000,000 Bon Jovi Fans Cant Be Wrong』を発表。リッチーやデヴィッド、ティコがメインボーカルとなっている曲も収録されている。
2005年7月、世界同時に行われたチャリティー・コンサート『LIVE 8』にフィラデルフィアから出演。9月には、プロデューサーにジョン・シャンクスを迎えて制作した9thアルバム『Have A Nice Day』を発表。アメリカではジェニファー・ネトルズとデュエットしてカントリー・ミュージック調にアレンジした「Who Says You Can't Go Home」がロック・アーティストとしては初めてビルボードのHot Country Songsチャートで1位を獲得した[29]。
2007年、第49回グラミー賞において「Who Says You Can't Go Home」(Bon Jovi & Jennifer Nettles)が「最優秀カントリー・コラボレーション賞」を受賞した[30]。6月には10thアルバム『Lost Highway』を発表し、ロンドンではO2アリーナのこけら落し公演を行った。その後日本にて神戸・東京でのスペシャル・ライヴに参加した。、Billboard 200でも『New Jersey』以来19年ぶりに1位を獲得[3]。10月には地元ニュージャージーにオープンしたプルデンシャル・センターで10日間のこけら落し公演を皮切りにワールド・ツアーを開始。
7月、地球温暖化防止活動のためのチャリティー・コンサート『ライブ・アース』にジャイアンツ・スタジアムから出演。ニューヨークのセントラル・パークではニューヨーク市やMLB、多数の企業の協賛による大規模なフリー・コンサートを開催した[9]。ワールド・ツアーは7月末に終了し、『Lost Highway Tour』はビルボード誌による2008年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった[31]。
4月から開催された『トライベッカ映画祭』に『Lost Highway Tour』の模様を追ったドキュメンタリー映画『When We Were Beautiful』が出品された。10月にはデヴィッドが音楽・作詞を手掛けたブロードウェイ・ミュージカル『メンフィス』(Memphis)が上演開始となった。11月には11thアルバム『The Circle』を発表。Billboard 200でも1位を獲得した[3]。
2010年、2月からワールド・ツアー開始。5月にはジャイアンツ・スタジアムの老朽化に伴って新築されたニュー・メドウランズ・スタジアム(メットライフ・スタジアム)公演を行った。6月にはO2アリーナで12日間公演を行った。なお、6月13日公演のみデヴィッドは不参加となった(第64回トニー賞授賞式出席のため)[32]。11月には『Cross Road』からおよそ16年ぶりとなるベスト・アルバム『Greatest Hits』を発表。CDでは2枚組となる『Greatest Hits –The Ultimate Collection』を発表、さらにアメリカ盤・インターナショナル盤・日本盤で収録曲が異なる内容になっている。『The Circle Tour』はビルボード誌による「Top 25 Tours of 2010」第1位となった[10]。
2011年、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『Songs For Japan』に参加。4月にはリッチーがアルコール依存症治療のためツアー不参加となり[33]、代役としてフィルXが参加した。ツアーは7月末のポルトガルリスボン公演で終了した。
2012年 -
2012年9月、リッチーが3rdソロ・アルバム『Aftermath Of The Lowdown』を発表。この時点でボン・ジョヴィのニュー・アルバムはほぼ完成していたが、バンドとしては2013年から活動再開することになった[34]。
2013年1月、「Because We Can」を全世界に音楽配信。2月から『Because We Can: The Tour』を開始。3月に12thアルバム『What About Now』を発表。Billboard 200で1位を獲得した[3]。ところが、リッチーが4月2日のカナダカルガリー公演から不参加となり、フィルXが代役として再び参加した[35]。9月にはティコの入院により南米ツアーが延期され、一部が中止となった[36]。代役には地元ニュージャージー出身のリッチ・スキャネラが参加していたが、10月8日のカリフォルニア州フレズノ公演から復帰した[37]。このツアーは、ポールスター誌による2013年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった[11]。
2014年、デビュー30周年。7月にはニューヨークの名称となってから350年を記念して、町に縁のあるアーティストのライヴを上映する『NY LIVE!』の第4弾として、ボン・ジョヴィ『インサイド・アウト』が日本国内の劇場で公開された[38]。また、ボン・ジョヴィ初となる“デラックス・エディション”シリーズとして、4thアルバム『New Jersey』のデラックス・エディションを発売。アルバム制作当時、バンド側は2枚組でのアルバム発売を構想していたが、レコード会社の指示で1枚になったという[39]。今回のデラックス・エディションには、『Sons Of Beaches』(サンズ・オブ・ビーチズ)として制作されていたデモ音源や未発表曲が収録されている。
なお、リッチーについてジョンはショービズ411によるインタービューで「もうやめたんだよ。リッチーはもういないんだ。でも、悪い感情は全然ないよ。バンドをやるのには、なにも終身の義務じゃなくてもいいってことだよ。」と述べているが[40]、正式発表はない。
2015年、新曲と未発表曲で構成されたアルバム『Burning Bridges』を発表[41]。
2016年10月、リッチーなしでは初となる完全新作アルバム『This House Is Not for Sale』を発表。このアルバム以降、長らくサポートメンバーを務めていた、ヒューとフィルを正式メンバーとして発表した。
2017年12月には2018年度のロックの殿堂に殿堂入りが決まった[42]。式典は2018年4月14日に行われた。ジョン、デヴィッド、ティコ、ヒューと元メンバーのリッチー、アレックの六人が殿堂入りし、プレゼンテーターはアメリカのラジオパーソナリティーハワード・スターンが務めた。パフォーマンスでは「You Give Love a Bad Name」、「Livin' On a Prayer」、「It's My Life」、「When We Were Us」の四曲をリッチー、アレックと共にパフォーマンスした。またバンドの故郷であるニュージャージー州の知事であるフィル・マーフィーは式典当日を「ボン・ジョヴィの日(Bon Jovi Day)」とした。[43]
2020年10月、コロナパンデミックに影響を受けた曲を含んだ「2020」を発表した。
注釈
出典
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固有名詞の分類
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