フランシスコ・デ・ゴヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 05:57 UTC 版)
生涯
1746年、スペイン北東部サラゴサ近郊のフエンデトードス(当初はFuentedetodos フエンテデトードスと呼ばれていた。la fuente de todos“総ての者の泉”という意味)に生まれた。父親は鍍金師であり、芸術を愛好する気風の中で育った。
14歳の時から約4年間、サラゴサで地元の画家に師事して絵画の修行をする。この間、のちに義兄となる、兄弟子・フランシスコ・バエウ、その弟ラモーン・バエウに出会う。1763年と1766年の2回、サン・フェルナンド王立アカデミーに出品したが落選している。
1770年、大画家を目指してイタリアのローマに出た。イタリア滞在中にルネサンスの傑作に出会い、フレスコ画の技法を学んだ。パレルモ・アカデミーから奨励賞を受け、1771年に帰国した。1772年にサラゴザのピラール聖母教会から大聖堂の天井装飾の注文も受け、そのほかのことも任された[3]。27歳で、バエウの妹ホセーファ・バエウと結婚。
1774年、バエウの手引きでマドリードへ出て、1775年から十数年間、王立タペストリー工場でタペストリーの下絵描きの仕事に携わる。
1786年、40歳で国王カルロス3世付き画家となり、1789年には新王カルロス4世の宮廷画家となる。
このように、40歳代にさしかかって、ようやくスペイン最高の画家としての地位を得たが、1792年、不治の病に侵され聴力を失う。代表作として知られる『カルロス4世の家族』、『着衣のマハ』、『裸のマハ』[注釈 1][3]、『マドリード、1808年5月3日』[注釈 2][3]、『巨人』などはいずれも聴力を失って以後の後半生に描かれたものである。
1807年、ナポレオン率いるフランス軍がスペインへ侵攻し、翌1808年にはナポレオンの兄ジョゼフをホセ1世としてスペイン王位につけた。事実上、ナポレオン軍の支配下に置かれたスペインは、1808年から1814年にかけてスペイン独立戦争のさなかにあった。
こうした動乱の時期に描かれたのが『マドリード、1808年5月3日』、『巨人』などの作品群である。1810年には版画集『戦争の惨禍』に着手している。1815年、すでに69歳に達していたゴヤは、40歳以上も年下のレオカディア・バイス(Leocadia Weiss)というドイツ系の家政婦と同棲していた(妻ホセーファはその3年ほど前に死去)。
1819年、マドリード郊外に「聾者の家」(es:Quinta del Sordo)と通称される別荘を購入した。1820年から1823年にかけて、この「聾者の家」のサロンや食堂を飾るために描かれた14枚の壁画群が、今日「黒い絵」と通称されるものである。
当時のスペインの自由主義者弾圧を避けて1824年、78歳の時にフランスに亡命し、ボルドーに居を構えた[4]。1826年にマドリードに一時帰国し、宮廷画家の辞職を認められるが、1828年、亡命先のボルドーにおいて82年の波乱に満ちた生涯を閉じた。
現在はマドリードのプリンシペ・ピオ駅にほど近いサン・アントーニオ・デ・ラ・フロリーダ礼拝堂、通称:ゴヤのパンテオン (Panteón de Goya) に眠っている。この聖堂の天井に描かれたフレスコ画、『聖アントニオの奇跡』もゴヤの作品である。なお、遺骸の頭蓋骨は失われている。亡命先の墓地に埋葬されている期間に盗掘に遭ったためだが、その犯人も目的も、その後の頭蓋骨の所在についても一切が不明のままである。
日本にあるゴヤの油彩画としては、東京富士美術館の『ブルボン=ブラガンサ家の王子、ドン・セバスティアン・マリー・ガブリエル[注釈 3]』、三重県立美術館の『アルベルト・フォラステールの肖像[注釈 4]』が挙げられる。版画となるともう少し多くなり、国立西洋美術館、町田市立国際版画美術館、神奈川県立近代美術館、姫路市立美術館、長崎県美術館などが所蔵し、企画展などの際に展示される。また、大塚国際美術館では、「聾者の家」を当時そのままの配置で再現している。
注釈
- ^ 1805年完成、ときの首相マヌエル・デ・ゴドイの注文。2枚を重ねて鑑賞するように工夫されている[要出典]。ゴドイは『鏡の中のヴィーナス』と一緒に飾っていた。1814年ゴヤは異端審問所で釈明を求められている。
- ^ 1814年に「5月2日」「5月3日」の2つの作品は、マドリードの蜂起に立ちあがった英雄的行為を描いている。特に後者の作品がゴヤの才能を如実に表しているといわれる。
- ^ ブルボン=ブラガンサ家の王子、ドン・セバスティアン・マリー・ガブリエル | フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス | 作品詳細 | 東京富士美術館
- ^ 三重県立美術館 /所蔵品検索 / アルベルト・フォラステールの肖像
出典
- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年2月12日閲覧。
- ^ “"The Frick Collection: Exhibitions"”. 2021年4月18日閲覧。
- ^ a b c フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 88ページ
- ^ 「ゴヤとマドリード」山田のぞみ/「マドリードとカスティーリャを知るための60章」(エリア・スタディーズ131) p212 川成洋・下山静香編著 明石書店 2014年6月30日初版第1刷
- ^ 大高保二郎「『巨人』は助手の作品 ゴヤ様式問い直すとき」、2009年2月19日付『読売新聞』
固有名詞の分類
美術家 |
ウィリアム・アドルフ・ブグロー マリノ・マリーニ フランシスコ・デ・ゴヤ ジェンティーレ・ベリーニ フランツ・フォン・シュトゥック |
19世紀の美術家 |
オーブリー・ビアズリー ウィリアム・アドルフ・ブグロー フランシスコ・デ・ゴヤ 東洲斎写楽 閑々子 |
18世紀の美術家 |
ジョサイア・ウェッジウッド ジャン・シメオン・シャルダン フランシスコ・デ・ゴヤ 東洲斎写楽 閑々子 |
スペインの画家 |
エル・グレコ サンティアゴ・ルシニョール フランシスコ・デ・ゴヤ ラモン・カザス パブロ・ピカソ |
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