フランシスコ・デ・パウラ・デ・ボルボンとは? わかりやすく解説

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フランシスコ・デ・パウラ・デ・ボルボン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 14:52 UTC 版)

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フランシスコ・デ・パウラ・デ・ボルボン
Francisco de Paula de Borbón

称号 カディス公
出生 (1794-03-10) 1794年3月10日
スペイン王国アランフエス
死去 (1865-08-13) 1865年8月13日(71歳没)
スペイン王国マドリード
配偶者 ルイサ・カルロッタ・デ・ボルボーン=ドス・シシリアス
父親 スペインカルロス4世
母親 マリア・ルイサ・デ・パルマ
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フランシスコ・デ・パウラ・デ・ボルボンスペイン語全名:Francisco de Paula Antonio de Borbón y Borbón-Parma, Duque de Cádiz, 1794年3月10日 - 1865年8月13日)は、スペインの王子(インファンテ)、カディス公。

生涯

スペイン王カルロス4世と王妃マリア・ルイサ・デ・パルマの末子としてアランフエスで誕生した。実の父親は、王の寵臣で王妃の愛人であったマヌエル・デ・ゴドイだと推測されている。兄にフェルナンド7世、スペイン王位請求者モリナ伯カルロスがいる。名前の「フランシスコ・デ・パウラ」はスペイン語で聖人パオラのフランチェスコを意味する。

1819年両シチリア王女ルイサ・カルロータフランチェスコ1世の王女)と結婚した。ルイサ・カルロータの母はフランシスコ・デ・パウラの姉イサベルであったことから、2人は叔父・姪の間柄であった。2人には11子が生まれた。

脚注

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