ルイサ・テレサ・デ・ボルボンとは? わかりやすく解説

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ルイサ・テレサ・デ・ボルボン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 15:12 UTC 版)

ルイサ・テレサ
Luisa Teresa
ボルボン家

出生 (1824-06-11) 1824年6月11日
スペイン王国アランフエス
死去 (1900-12-27) 1900年12月27日(76歳没)
スペイン王国マドリード
埋葬 1900年12月29日
スペイン王国、サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル、エル・エスコリアル修道院
配偶者 ホセ・マリア・オソリオ・デ・モスコーソ
子女 フランシスコ・デ・アシス
ルイス
マリア・クリスティーナ
父親 フランシスコ・デ・パウラ・デ・ボルボン
母親 ルイサ・カルロッタ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス
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ルイサ・テレサ・デ・ボルボン・イ・ボルボン=ドス・シシリアススペイン語: Luisa Teresa de Borbón y Borbón-Dos Sicilias, 1824年6月11日 - 1900年12月27日)は、スペインの王族、スペイン王女(Infanta de Españaイサベル2世女王の従姉、義妹。

生涯

少女時代のルイサ・テレサ(エスキベル画、1834年)

1824年6月11日、スペイン王フェルナンド7世の末弟であるカディス公フランシスコ・デ・パウラと、その妃で両シチリアフランチェスコ1世の娘であるルイサ・カルロッタの間の第5子、次女としてアランフエス宮殿で生まれた[1]。全名はルイサ・テレサ・マリア・デル・カルメン・フランシスカ・デ・アシス(Luisa Teresa Maria del Carmen Francisca de Asis)。

1846年に兄のフランシスコ・デ・アシスが従妹の女王イサベル2世と結婚したため、女王の義妹となった。

1847年2月10日にマドリード王宮において、第16代セッサ公爵ホセ・マリア・オソリオ・デ・モスコーソ(José María Osorio de Moscoso y Carvajal, 1828年 - 1881年)と結婚した。

1900年12月27日、マドリードにて76歳で亡くなりエル・エスコリアル修道院に葬られた。

子女

夫セッサ公爵との間に2男1女の3人の子女をもうけた。

  • フランシスコ・デ・アシス(1847–1924) - 第17代セッサ公爵
  • ルイス・マリアスペイン語版(1849–1924) - 第16代アヤモンテ侯爵
  • マリア・クリスティーナ・イサベル(1850–1904) - 第9代アトリスコ公爵、1865年に第6代ボーフルモン公爵ウジェーヌ・ド・ボーフルモン=クルトネーと結婚

脚注

  1. ^ Darryl Lundy (2003年5月10日). “Luisa de Borbón, Infanta de España”. thePeerage.com. 2012年6月10日閲覧。

外部リンク

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