ダフト・パンク 来歴

ダフト・パンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 08:47 UTC 版)

来歴

結成まで

1987年、パリの学生だったトーマとギ=マニュエルが知り合い、2人ともジミ・ヘンドリックスモータウン・ミュージックといったロックソウルミュージックに興味を持っていたために意気投合する。1990年にはクラスメイトであったローラン・ブランコウィッツ英語版(現・フェニックスのギタリスト・キーボディスト)と共に「ダーリン」というバンドを結成し、 ステレオラブレーベルから数曲をリリースした。ある日、このステレオラブの前座を務めたダーリンに対して、イギリスの音楽誌『メロディ・メーカー英語版』は、レビュー[要曖昧さ回避]で「a daft punky thrash」と酷評。ところが2人はこの言葉を気に入り、自分たちの新たなユニット名にする。1993年にローランが音楽性の相違からバンドを脱退したのを機に、本格的にハウス・ミュージックへと方向性を転換。彼らはドラムマシンシンセサイザーを使った実験を始めた。

1993年-1999年: アルバム『ホームワーク』

1994年、シングル「The New Wave」でデビュー。1995年に12インチ・シングル「Da Funk」を2000枚リリースした。

1996年、ヴァージン・レコードと契約[11][12]。同年12月にシングル「Da Funk」をヴァージンから再リリース。フランスチャート最高7位、全英チャート7位となる。

1997年1月、ファースト・アルバム『ホームワーク』をリリース。同アルバムからシングルカットされている「Around The World」のミュージック・ビデオは、ビョークレディオヘッドケミカル・ブラザーズなどのPVも手掛けた気鋭の映像作家、ミシェル・ゴンドリーが監督している[要出典]。5月には「Da Funk」が全米ダンスチャート1位。クラブ系アーティストとしては異例の全世界で220万枚のビッグセールスを記録し、これがヨーロッパとアメリカを回る大規模なライブ・ツアー「Daftendirektour」に乗り出すきっかけとなる[要出典]

1999年-2003年: アルバム『ディスカバリー』

2000年11月、シングル「ワン・モア・タイム英語版」をリリース。2人が大ファンであったという、日本漫画家松本零士が手がけた、アニメーションによるビデオ・クリップも注目を集め、全英チャート2位、本国フランス初登場1位を記録し、日本でも30万枚を売り上げる[要出典]

2001年3月、セカンド・アルバム『ディスカバリー』をリリース。「デジタル・ラヴ」、「仕事は終わらない」(Harder, Better, Faster, Stronger)などのヒット曲に支えられ、さらなる成功を収めた。

2003年5月、『ディスカバリー』の全曲をフィーチャーした映画インターステラ5555』が公開。カンヌ国際映画祭の監督週間で特別上映された。本作が、松本零士の画業50周年記念作品でもある[要出典]

2004年–2007年: アルバム『HUMAN AFTER ALL〜原点回帰』

2005年3月、サード・アルバム『HUMAN AFTER ALL〜原点回帰』をリリース。イギリスでは「Robot Rock」と「Technologic」が成功を収めた。

2006年4月、米コーチェラ・フェスティバルから世界ツアー「Alive 2006/2007英語版」をスタート。8月、SUMMER SONIC '06に出演。8月12日東京(千葉)、8月13日大阪でマウンテン・ステージのヘッドライナーを務める[13]

2007年4月28日(日本での公開日)、2人が監督・脚本、さらにトーマが撮影監督も手がけた映画『エレクトロマ (Daft Punk's Electroma)』が公開された。彼らと同じロボットが主人公(役名は「ヒーロー・ロボット#1」「#2」)だが、演じているのは「ピーター・ハートゥ」と「マイケル・ライヒ」で、ダフト・パンクの両人ではない。また演じている両人も、ダフト・パンクによって設立された映像制作プロダクション「ダフト・アーツ」のアシスタント・スタッフで俳優ではないが、背格好が似ているということから主演に抜擢された。10月、日本のヒップホップ・グループ、TERIYAKI BOYZの楽曲「HeartBreaker」をプロデュース。また、カニエ・ウェストが楽曲「Stronger」に「仕事は終わらない (Harder, Better, Faster, Stronger)」をサンプリングし、ミュージック・ビデオには彼らも出演した[要出典]。11月、ライブ・アルバム『ピラミッド大作戦 (Alive 2007)』をリリース。グラミー賞の最優秀エレクトロニック/ダンスアルバム賞を受賞した。

2008年–2011年: 『トロン: レガシー』

2009年2月8日に行われた第51回グラミー賞にてダンス部門で2部門(ベスト・シングル賞:「仕事は終わらない」、ベスト・アルバム賞:『ピラミッド大作戦』)を受賞した。フランスのミュージシャンがグラミー賞を獲得するのは、ディープ・フォレスト以来15年ぶり[要出典]

2010年、映画『トロン: レガシー』のサウンドトラックを担当し、本編中でもクラブのシーンでDJとして出演している[要出典]

2011年–2015年: Random Access Memories

2013年1月、コロムビア・レコードと契約[14]。5月、4枚目のスタジオ・アルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』をリリース。タイトルは、RAM複数形にした形で取られている。ファレル・ウィリアムスをフィーチャーした先行シングルの「Get Lucky」は全英シングルチャートなど世界各国のチャートで1位を獲得、世界32カ国のチャートでトップ10入りを果たすなど、高い評価を得た。ただし、米Billboard Hot 100チャートでは自身初のトップ10入りを果たしたものの、ロビン・シックの「ブラード・ラインズ」に阻まれて5週連続2位という結果になっている[15]。このヒットを受けてアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』は全英アルバムチャートBillboard 200ともに自身初の初登場1位を記録した。アメリカでは発売初週に前作の累計販売枚数(12万5000枚)の2倍以上となる33万9000枚を売り上げた[16]。この内、22万1000枚がデジタルダウンロードであり、全体の65%を占めている[17]

2014年1月、第56回グラミー賞で主要部門となる「最優秀レコード」、「最優秀アルバム」を含む、ノミネートされた5部門すべてで受賞。授賞式では、アルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』発売後としては初、またテレビ・パフォーマンスとしては2008年の第50回グラミー賞以来6年ぶりとなるパフォーマンスを披露。ダフト・パンクはマスクも含めホワイト一色の衣装に身を包み、ファレル・ウィリアムス、ナイル・ロジャーススティーヴィー・ワンダーと共演を果たした。

同年10月、ファレル・ウィリアムスのソロ・アルバム『ガール』内の楽曲「Gust of Wind」にゲスト・ボーカルとして参加した[要出典]

2016年-2021年 解散まで

2016年、ザ・ウィークエンドの楽曲「スターボーイ」「アイ・フィール・イット・カミング」を共作し、「スターボーイ」でBillboard Hot 100で初の1位を獲得。「アイ・フィール・イット・カミング」も4位を記録した[18]

2021年2月22日、映画『エレクトロマ』の1シーンを「Epilogue」というタイトルでYouTubeチャンネルにアップロードした[19]。ビデオには途中「1993-2021」と表示され、同日、長年の広報担当Kathryn Frazierが解散を認めた[20]


  1. ^ a b c d e f Phares, Heather. Daft Punk | Biography & History - オールミュージック. 2021年7月16日閲覧。
  2. ^ Daft Punk Bio, Music, News & Shows”. DJZ.com. 2013年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月7日閲覧。
  3. ^ McNulty, Bernadette (2007年11月17日). “Daft Punk: Behind the robot masks”. The Telegraph. https://www.telegraph.co.uk/culture/music/3669339/Daft-Punk-Behind-the-robot-masks.html 2012年10月14日閲覧。 
  4. ^ UPI Almanac for Thursday, Jan. 3, 2019” (2019年1月3日). 2019年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月3日閲覧。 “DJ Thomas Bangalter (Daft Punk) in 1975 (age 44)”
  5. ^ Aswad (2021年2月22日). “Daft Punk Has Split Up, Publicist Confirms” (英語). Variety. 2021年2月22日閲覧。
  6. ^ McNulty, Bernadette (2007年11月17日). “Daft Punk: Behind the robot masks”. The Telegraph. https://www.telegraph.co.uk/culture/music/3669339/Daft-Punk-Behind-the-robot-masks.html 2012年10月14日閲覧。 
  7. ^ Sean Cooper. “Daft Punk”. AllMusic. 2021年2月23日閲覧。
  8. ^ Suzanne Ely, "Return of the Cybermen" Mixmag, July 2006, pp. 94–98.
  9. ^ Martin (2013年12月4日). “Daft Punk: The Birth of The Robots”. 2021年2月23日閲覧。
  10. ^ Coscarelli, Joe (2021年2月22日). “Daft Punk Announces Breakup After 28 Years”. New York Times. https://www.nytimes.com/2021/02/22/arts/music/daft-punk-breakup.html 2021年2月22日閲覧。 
  11. ^ Daft Punk Musique Vol. 1 Official Website. Archived 2006年4月10日.
  12. ^ James, Martin. French Connections: From Discotheque to Discovery. London, United Kingdom: Sanctuary Publishing Ltd., 2003. pgs 265; 267; 268. (ISBN 1-86074-449-4)
  13. ^ History - 2006 SUMMER SONIC”. 2021年2月23日閲覧。
  14. ^ Daft PunkがColumbiaと契約、年内にアルバムを発売へ”. Resident Advisor. 2021年2月23日閲覧。
  15. ^ Robin Thicke: Longest Hot 100 Reign This Year”. ビルボード (2013年7月24日). 2013年7月24日閲覧。
  16. ^ Official: Daft Punk's 'Random' Debuts at No. 1 on Billboard 200 With 339,000”. ビルボード (2013年5月28日). 2013年5月28日閲覧。
  17. ^ Daft Punk Leads Debut-Filled Top Four on Billboard 200 Album Chart”. ビルボード (2013年5月29日). 2013年5月29日閲覧。
  18. ^ Chart History The Weeknd”. 2020年3月10日閲覧。
  19. ^ ダフト・パンク (22 February 2021). Epilogue (YouTube). 2021年2月23日閲覧
  20. ^ Daft Punk Break Up”. Pitchfork. 2021年2月23日閲覧。






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