Chemical & Engineering News 誌における公開書簡
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「分子ナノテクノロジーに関するドレクスラーとスモーリーの論争」の記事における「Chemical & Engineering News 誌における公開書簡」の解説
この論争はアメリカ化学会のニュース誌 Chemical & Engineering News 2003年12月1日号の特集記事とされた誌上討論で終息した。同号ではまずドレクスラーによる2003年4月の公開状が再掲された。スモーリーはこれに答えて、2001年9月の自著記事がドレクスラーの怒りを招いたことを詫び、自身のナノテクノロジーへの興味がドレクスラーの著書『想像する機械』に始まったと述べるところから筆を起こした。次に、「スモーリーの指」式のデバイスが機能しないことへの同意を改めて求め、原子操作による反応の制御が不可能ならば、同じ理由により分子の操作による反応制御も不可能だろうと断言した。一つの分子を操作するには、それに含まれる原子を複数制御しなければならないためである。 スモーリーは酵素やリボソームが望んだ化学反応を正確に起こせることを認めながらも、ナノロボットがそのような酵素を保持し、必要な時に取り出して利用し、壊れた酵素を検出して廃棄することが果たして可能なのかと問いかけた。さらに、酵素のような生体系物質は水溶液環境下でしか機能しないため、適用できる化学反応が限られることを指摘した。「生物が体内で生産できる物質の多様なことは驚くほどだが、しかしシリコンや鋼鉄、銅、アルミニウム、チタンなどの結晶を作ることはできない。つまり現代の科学技術の基盤となっている物質は一つも作ることができない」スモーリーは分子アセンブラの基盤としてどのような「非水溶液環境下で機能する酵素様物質の化学」がありうるのかドレクスラーに問いかけ、「過去数世紀にわたって人類の目を逃れてきた広大な化学の領域があるに違いない」と述べた。 ドレクスラーの再反論はファインマンの1959年の講演を振り返るところから始まった。「生物学から着想を得たとはいえ、(中略)ファインマンが抱いたナノテクノロジーのビジョンは根本のところで機械的なものであり、生物的なものではない」ドレクスラーは分子アセンブラという課題が単なる化学ではなくシステム工学の文脈で考えるべきだと述べるとともに、酵素ではなく溶媒や熱運動も利用しない機械的な反応制御について自著『ナノシステムズ』を参照するよう促した。ドレクスラーの言葉によれば 位置制御技術では、反応してほしくない物質どうしを接触させないことで副反応をほぼ防止できる。遷移状態理論によれば、適切に選んだ反応体に位置制御の手法を用いると、コンピュータにおけるデジタルなスイッチ操作と同レベルの信頼性を持つ合成ステップをMHzの速さで動作させることが可能である。その根拠は『ナノシステムズ』に示した。同書の議論は10年にわたって科学的な精査を受けながらもいまだ健在である。 ドレクスラーは分子アセンブラに実現の難しい「指」を持たせる必要はないと改めて述べた。また、分子アセンブラによる位置制御で従来の溶液相の化学を補完すれば、複雑な構造を持つ機能性分子を精密に、かつ大量に生産することが可能になるだろうと主張した。さらに、ファインマンが最初に示したトップダウン的な「ナノ工場」の製造プランとは逆に、限定的な位置制御機能を有する溶液相の分子アセンブラからスタートして高度なアセンブラの構築をブートストラップするというボトムアップ的なビジョンが提示された。ドレクスラーは文章を以下のように結んだ。 アメリカにおける分子マニュファクチャリングの発展は、それが実現不能だという危険な幻想によって妨げられている。同意してくれないだろうか。貴殿が正しくも拒絶した〔ママ〕、マスコミを賑わす多くの言説とは裏腹に、分子マニュファクチャリングの物理的原理は健全なものだと[訳語疑問点]。リチャード・ファインマンが唱えた壮大な構想をシステム工学によって実現し、ナノスケール研究を飛躍させる使命を我々とともに追及してほしい。 スモーリーは議論の幕切れとなる文章を以下のように書き始めた。 本物の化学について語るために招き入れたつもりだったが、貴殿は私の部屋から歩み去り、機械学の世界に戻っていったようだ。このような結末は残念だ。ほんの一時、我々は相互理解に向かっていると考えていたのだが。私がサイエンティフィック・アメリカンに書いた短文の重要性を貴殿はいまなお理解していないと見える。少年と少女を互いに向けて圧迫しても恋が芽生えないように、ほんのいくつかの自由度についてアセンブラの座標系で単純な機械的運動を行っただけで、二つの分子の間に望みの化学反応を起こさせることなどできはしない。化学とは、愛とは、もっと精妙なものだ。 スモーリーはメカノ合成が多くの場合雑多な生成物しか生まず、そもそもそのようなアプローチが有効な反応と標的分子はごく限られるという持論を展開した。また彼は、アセンブラのロボットアームは必ず先端に酵素様のツールを備えていなければならず、それらは液相の溶媒を必要とし、そして既知の酵素はすべて水を溶媒としているため、この方法で合成できる生成物は「生物が持つ肉と骨」に限定されると強く主張した。彼はドレクスラーが「コンピュータプログラムが命令すれば、その通りの場所に原子が飛んでいく想像上の世界」を作り出したと非難した。 最後に、スモーリーはアウトリーチ活動の中で中高生のエッセイを読んだ経験をこんこんと述べた。自己複製型のナノロボットが実現可能だと信じている生徒が半数近くに上り、それが世界中に蔓延することをほとんど全員が恐れていたという。スモーリーはこのようなトラウマを負わせるおとぎ話に全力で対抗すると述べた。誌上討論は以下のようなスモーリーの弁によって締めくくられた。 貴殿とその一派は我々の子供たちを脅かしている。貴殿らが活動を止めることは期待していないが、願わくば化学コミュニティの協力のもとで子供たちから闇を払ってあげたい。現実世界における未来は困難と本当のリスクに満ちているとしても、自己複製型の機械的ナノロボットというモンスターは貴殿の夢の産物に過ぎないのだと。
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