2014年死刑確定囚(7人)
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事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)あきる野市資産家姉弟殺害事件 (O) 2014年1月 2008年4月9日 知人の男(無期懲役が確定)と共謀し、東京都あきる野市の資産家姉弟(姉54歳・弟51歳)から現金やキャッシュカードを奪い、2人を窒息死させて長野県の山中へ埋めた。強盗殺人罪・死体遺棄罪などに問われ、2009年5月12日に東京地裁立川支部(山崎和信裁判長)で死刑判決を受け、2010年11月10日に東京高裁(金谷暁裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2013年12月17日に最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)で上告棄却判決を受け、2014年1月に死刑が確定。2013年6月に肺癌が見つかり、手術を受けたが、2014年5月には癌が脳に転移していることが判明。転移性脳腫瘍のため、2014年7月2日に東京拘置所で病死(66歳没)。 大阪個室ビデオ店放火事件 (O) 2014年3月6日 2008年10月1日 2021年9月20日時点で大阪拘置所に収監中。自殺しようとして個室ビデオ店内に放火し、16人を殺害・9人を負傷させた。2009年12月2日に大阪地裁(秋山敬裁判長)で死刑判決を受け、2011年7月26日に大阪高裁(的場純男裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2014年3月6日に最高裁第一小法廷(横田尤孝裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定。2019年6月20日に日本弁護士連合会(日弁連)が再審支援を決定。 日医大事件・前橋スナック銃乱射事件(YO) 2014年3月14日 2002年2月25日・2003年1月25日 1948年(昭和23年)12月20日生まれ。2020年1月26日に収監先・東京拘置所で自殺(65歳没)。元暴力団住吉会幸平一家Y会会長。2001年8月に東京都葛飾区の斎場で起きた暴力団稲川会大前田一家系組員による住吉会幹部射殺事件が発端となり、暴力団同士の抗争に発展。YOは2002年2月25日に文京区の日本医科大学付属病院で入院中の住吉会幸平一家系暴力団の幹部Iを、Y会の下部団体のT組組長Tらとともに日医大病院東館1階の高度救命救急センター集中治療室に侵入し射殺した。幹部Iは射殺される前日に豊島区内の路上で脇腹を拳銃で撃たれ重傷を負い、日医大に搬送されていた。幹部Iは同月に大前田一家元総長宅襲撃に失敗したため制裁と口封じのため殺された。同年3月、YOとT組組長Tはガソリン噴射器を用いて大前田一家元総長宅を襲撃。同年8月、YOは別の詐欺事件で警視庁に逮捕された。T組組長Tは日医大事件等で無期懲役確定。なおも抗争は激化し、前橋スナック銃乱射事件を起こすに至る。YOは逮捕前、住吉会系暴力団組員のK(2009年に死刑確定)・YK(2013年に死刑確定)の両名に対し、大前田一家関係者が出入りしていた前橋市のスナックを襲撃し同一家関係者を射殺するよう指示した。K・YK両加害者は翌2003年1月25日に前橋市内のスナックで拳銃を乱射して計4人(組長の護衛役1人+客3人)を射殺し、組長ら2人に重傷を負わせた。組長射殺事件・銃乱射事件などで起訴され、2007年12月10日に東京地裁(朝山芳史裁判長)で死刑判決を受けた。2009年11月10日に東京高裁(山崎学裁判長)で控訴棄却判決を受け、2014年3月14日に最高裁第二小法廷(鬼丸かおる裁判長)で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定。死刑確定後の2014年9月、「金銭トラブルなどにより他の複数の人物も殺害し、遺体を遺棄した」という内容の文書を警視庁目白警察署に送付。警視庁は任意でYOに事情聴取したところ同趣旨の証言をしたため、裏付け捜査に入った。2016年2月、文書の内容とその真偽を確かめるための捜査が行われている事実が明らかとなった。YOが文書で「殺害した」と告白している東京都内の会社社長男性と神奈川県伊勢原市内の不動産業男性はいずれも20年近くにわたって行方が分からず失踪している。うち東京都内の会社社長男性は1996年のオレンジ共済組合事件に関与し、友部達夫・新進党参議院議員の当選を画策する政界工作を行ったとされる「永田町の黒幕」・「リュー一世」(YOが提出した文書内での呼称)と呼ばれる人物。この会社社長男性は1997年4月、オレンジ共済組合事件に関して国会に証人喚問されたが、その後1998年春頃より行方が分からなくなっている。YOは同社長を絞殺し、配下の元Y会組員男に命じ遺体を遺棄したという。配下の元Y会組員男は死体遺棄を認め場所も説明したため、YO死刑囚と配下の元Y会組員男の供述に基づき警視庁と神奈川県警は不明両名の捜索を行い、2016年4月19日に神奈川県伊勢原市内の山林で1996年8月から行方不明となっていた不動産業男性の白骨死体を発見した。YOは不動産業男性とトラブルになっていたという暴力団関係者から依頼を受け、1996年8月、別の暴力団関係者に不動産業男性を殺害させ、配下の元Y会組員男に死体を遺棄させた。トラブルになっていたという暴力団関係者や、殺人の実行役とされる暴力団関係者はその後いずれも死亡しており、配下の元Y会組員男の死体遺棄容疑については既に時効が成立している。更に2016年11月29日には同社長と思われる遺体が発見され、DNA鑑定および歯形照合を行った。2017年4月10日に警視庁組織犯罪対策4課はYOを同社長に対する殺人の容疑で東京拘置所において逮捕した。同年5月1日にYOは東京地検より改めて殺人罪で起訴され、裁判員裁判に付された。確定死刑囚の逮捕・起訴は極めて異例であるうえ、裁判員裁判の被告が確定死刑囚という事例は初めて。2018年11月、東京地方裁判所においてYOの裁判員裁判が開始されたが、YOは初公判の被告人質問において、起訴事実について「間違いです」と全面否定し、上述の自身の殺人告白は「全く虚偽です」「(東京都内の会社社長男性について)私は殺していません。ただし殺させました」「(伊勢原市内の不動産業男性について)名前すら知りません。間違いです」と述べた。YOの告白が契機となって始まった裁判であるが、その当人がいずれの容疑についても無罪を主張した。YOは告白の目的について、「死刑判決を受けた事件などの再捜査であり、自身の死刑執行の先延ばしではない」と主張したが、YO以外に事件に関与したとされる者は既に全員死亡しており、再捜査や立件は困難な状況であるという。検察はYOが後から告白した二件の殺人について、「(裁判になれば判決確定までは死刑執行は見送られる可能性が高いため)告白の目的は死刑執行の引き延ばしであるが、告白の内容は信用できる」と指摘。裁判において否認に転じた理由は「裁判も引き延ばすため」と推認し、無期懲役を求刑。弁護側は「証拠不十分」のため無罪判決を求めた。同年12月13日、東京地裁は「告白の主な目的は死刑執行の先延ばしだった」「手紙には犯人でなければ知り得ない情報はない」「(告白内容を記載した)手紙は信用できない」と指摘し、YOに無罪判決を言い渡した。判決の言い渡し後、裁判長はYOに「検察が控訴しなければ裁判は終わり」と宣告した。なお、刑法の併合罪に関する規定により、確定死刑囚に他の刑は執行しないため、仮にYOが後から告白した二件の殺人について有罪が確定しても刑は課されない。東京地検は同月27日の期限までに控訴せず、YOの無罪が確定した。殺人事件の無罪判決に対して検察側が控訴しなかった事例はまずないという。死刑囚YOは2020年1月26日に収監中の東京拘置所において衣服を着たまま布団の中で血を流した状態で発見された。首の左右に切り傷があり、死亡していた。自作の刃物状の鋭利なもので首を切り、自殺したものとみられる。71歳没。 元厚生事務次官宅連続襲撃事件 (K) 2014年6月13日 2008年11月(17日・18日) 1962年(昭和37年)1月26日生まれ。2021年9月20日時点で東京拘置所に収監中(現在60歳)。元厚生省事務次官宅2軒を襲撃して2人(山口剛彦とその妻)を殺害したほか、吉原健二の妻に重傷を負わせた。2010年3月30日にさいたま地裁(伝田喜久裁判長)で死刑判決を受け、2011年12月26日に東京高裁(八木正一裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2014年6月13日に最高裁第二小法廷(山本庸幸裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定。 ※長野市一家3人殺害事件 (M) 2014年9月25日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 2010年3月(24日・25日) 2021年9月20日時点で東京拘置所に収監中。裁判員裁判で言い渡された死刑判決が最高裁で支持され確定した初のケース。2011年3月25日に長野地裁(高木順子裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を、2012年3月22日に東京高裁(井上弘通裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2014年9月2日に最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、弁護人が同月10日付で判決の訂正を申し立てたが、2014年9月25日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。共犯2人のうち1人 (I) は2016年に死刑確定。もう1人は一審で死刑判決を受けるが二審で無期懲役に減軽され、その後確定。2016年5月31日付で犯行当時の責任能力を争い長野地裁へ再審を請求した。 ※宮崎家族3人殺害事件 (O) 2014年11月5日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 2010年3月1日 1988年(昭和63年)2月13日生まれ。2021年9月20日時点で福岡拘置所に収監中(現在34歳)。同居する義母の叱責から逃れたいために義母、妻、長男の3人を殺害した。2010年12月7日に宮崎地裁(高原正良裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を、2012年3月22日に福岡高裁宮崎支部(榎本巧裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2014年10月16日に最高裁第一小法廷(山浦善樹裁判長)で上告棄却の判決を受け、被告人Oから出された判決への訂正申し立ても2014年11月5日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。公判中、被告人Oとその両親はTBS(JNN)系列の報道・ドキュメンタリー番組『報道特集』から取材を受け、死刑確定後の2015年4月11日には同番組にて特集「確定死刑囚の告白」が放送された。 ※静岡2女性殺害事件 (K) 2014年12月2日 2005年10月26日・2010年2月23日 1966年(昭和41年)6月26日生まれ。2021年9月20日時点で東京拘置所に収監中(現在55歳)。2005年に交際相手の女性を、2010年に妻を殺害した。2011年6月21日に静岡地裁沼津支部(片山隆夫裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2012年7月10日に東京高裁(山崎学裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2014年12月2日に最高裁(大谷剛彦裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定。
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