二輪車
二輪車(にりんしゃ、英: two-wheeler)は、車輪が2つあるくるま(車両、乗り物)。
車輪が前後に配置される物
- 人力でペダルやハンドクランクをこぐ二輪の乗り物。→自転車を参照。
- 原動機(エンジン)がついた二輪の乗り物。日本の法規では(エンジン付きの乗り物を「自動車」や「自動○○車」などと表現するため)、「自動二輪車」や「二輪の自動車」などと表現されている[1]。→ オートバイを参照。原動機付自転車は、その中の一部である。
- 地面を人力で、脚でけって進む二輪の乗り物。→キックスケーターを参照。
車輪が左右に配置される物
- 人力または動物の力で牽いて荷物を運ぶための二輪のくるま(車両)。→ 荷車を参照。
- 人力で牽いて乗客を運ぶ二輪の乗り物。→ 人力車を参照。
- 牛の力で牽いて人や物を運ぶ二輪の乗り物。→ 牛車を参照。
- 馬の力で牽いて人や物を運ぶ二輪の乗り物。→ チャリオット、馬車を参照。
- 人力、自転車、原動機付自転車などで牽く二輪の車。→ リヤカーを参照。
- 自転車で牽引することだけを目的に設計された二輪の車。→サイクルトレーラーを参照。
- 自動車によって牽引される二輪の車。→ けん引自動車を参照。
- 原動機を備え、他の何かを引く(牽引する)ための二輪の車両。→ 二輪トラクター(en:Two-wheel tractor)
- 米国で開発され2000年代から販売されている、電動で、人が立った状態で乗る二輪の乗り物。→ セグウェイを参照。
その他
- 性風俗用語の二輪車についてはソープランド#営業スタイルを参照。
関連項目
脚注
- ^
- 道路交通法施行規則 第2条
- 二輪の自動車について排気量別に「大型自動二輪車」「普通自動二輪車」という定義がなされている。
- 道路標識、区画線及び道路標示に関する命令(別表第2)(国土交通省)
- 補助標識に関する備考「(六)車両の種類の略称」では、原動機付自転車と二輪の自動車について、二輪という略称を用いることができるとされている。
- 道路交通法施行規則 第2条
2輪車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:51 UTC 版)
ソープ嬢2人と同時にプレイをすること。3人の場合は3輪車と呼ぶ。
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2輪車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/26 06:07 UTC 版)
「アリエル (オートバイ)」の記事における「2輪車」の解説
アリエルの最初のオートバイは1902年にはミネルバと呼ばれる自社製の211ccエンジンを搭載して発売された。以後はホワイト&ポップエンジンの498ccモデルや249ccの小型モデルなどを生産していた。 デザイナーのヴァル・ページが加わった1926年から、アリエルのオートバイは新しい時代を迎えた。3速ギヤを持つ2ストロークエンジンのアリエレッタ ( Arielette ) を市場に送り出したページは、1927年には既存のエンジンを再設計して一群の新しい単気筒エンジンを生み出した。ページが設計したこれらのエンジンを搭載して1926年から1930年に発売された一連のオートバイはブラック・アリエル ( Black Ariels ) と呼ばれた。またこの単気筒エンジンはその後も進化を続け、1950年代半ばのLHコルトを除いて1959年までにアリエルで製造された全ての単気筒エンジンのベースとなっている。 エドワード・ターナーの設計による500ccのスクエアフォアは1931年に発売された。スクエアフォアはやがて600ccにスケールアップされ、1937年にはスクエアフォア4Gと呼ばれる995ccのOHV版にモデルチェンジしたが、エンジンレイアウトからくる後部シリンダーの冷却問題には終始悩まされ続けた。1939年にはアンスティーリンクと呼ばれるプランジャー式のリアサスペンションがオプション設定され、これは1946年に再生産された時にも採用された。この再生産時には、フロントサスペンションはそれまでのガーダーフォークからテレスコピック式に変更されている。1949年のスクエアフォア・マーク1 ( Ariel Square Four Mark I ) ではシリンダーブロックとシリンダーヘッドがそれまでの鋳鉄製からアルミ鋳造に代わったことで軽量化され、最高速度90mph(約145km/h)を実現した。1953年には更に再設計されてスクエアフォア・マーク2 ( Ariel Square Four Mark II ) となり、シリンダーヘッドの改良などによって最高速度100mphとなった。 アリエル・レッドハンターは、ヴァル・ページ設計のOHV単気筒500ccエンジンを搭載して1932年にデビューしたスポーツモデルである。当初はトライアルなどの競技をするライダーにしか売れなかったが、後にエドワード・ターナーがデザインを一部変更したところ一般ライダーにも受け入れられ、1959年まで生産が続けられた。1955年にサミー・ミラー ( en:Sammy Miller ) のライディングによって活躍したトライアル専用モデルのベースとなったのもレッドハンターである。第二次世界大戦中にはレッドハンターの車高を上げて走破性を高めた軍用モデルのW/NG 350 ( en:Ariel W/NG 350 ) が作られた。 1944年にBSAに売却されると、アリエルは500ccのKH ( Ariel KH ) と、強力なBSA製A10エンジンを積んだ650ccのハントマスター ( Ariel Huntmaster ) を送り出した。ハントマスターは高い信頼性と最高速度100mph(約160km/h)を誇り、特にサイドカーマニアの間で人気のモデルとなった。 1959年、アリエルは伝統のある4ストロークエンジンのモデルの製造を中止し、ラインナップを2ストローク2気筒250ccのリーダー ( en:Ariel Leader ) とアロー ( en:Ariel Arrow ) の2モデルに絞った。この決定は一、イギリスのモーターサイクル業界を襲った不況の中でアリエルが生き残るための決断だった。リーダーはヘッドライトからテールまでの車体全体を一体型ボディで包み込んだデザインの、オートバイとスクーターの長所を併せ持つことを意図したモデルであり、またリーダーをベースとしたスポーツモデルのアローは、ノーマルに手を加えただけのマシンが1960年のマン島TTレースで7位に入るという高性能モデルだった。アローは一時期、200ccのモデルも作られた。 しかし1960年代には本格的にヨーロッパの市場に参入してきた日本製オートバイの脅威にアリエルは対抗することができず、1967年にオートバイの製造を中止した。 1970年、BSAは2ストローク50ccの3輪モペッドの名称としてアリエルの名前を復活させた。アリエル3と名付けられたこのモデルは、オートバイと同じように車体を傾けてカーブを曲がるという点で従来の3輪車とは異なっていた。車体の前部と後部が蝶番によって結合されており、三つの車輪を地面に接地させたまま車体前部を傾けることができるような構造だったのである。しかしアリエル3は商業的に成功を得ることはできず、間もなく生産中止となるとアリエルの名前を持つモデルは市場から姿を消すことになった。
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