鳥居家とは? わかりやすく解説

鳥居氏

(鳥居家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/21 16:27 UTC 版)

鳥居氏
鳥居笹
本姓 藤原北家
桓武平氏
家祖 行範(平重氏とも)
種別 武家
華族子爵
出身地 紀伊国
主な根拠地 三河国矢作
下野国都賀郡壬生
東京市本所区柳島町
東京市麹町区四番町
著名な人物 鳥居忠吉
鳥居元忠
鳥居耀蔵旗本家)
支流、分家 旗本鳥居氏(武家)
鳥居氏(武家)
凡例 / Category:日本の氏族

鳥居氏(とりいし)は、武家華族だった氏族戦国時代三河国の土豪として松平氏に仕え、江戸時代前期に出羽国山形藩22万石を与えられるも改易となり、その後、下野国壬生藩3万石で廃藩置県まで続き、明治維新後は華族の子爵家に列した[1][2]

歴史

鳥居氏発祥地の碑(愛知県岡崎市渡町東浦)
鳥居氏家紋「鳥居」
(『寛政重修諸家譜』)

藤原実方の長男朝元桓武平氏流平重氏とも)の後裔と自称した[3]紀伊国熊野に出、鳥居忠氏が承久中に三河国矢作庄の渡理に移住し渡理伝内と称し[4]、忠氏の子孫の鳥居忠吉松平清康広忠に仕えるようになったという[4]

忠吉の子・元忠徳川家康配下の部将として諸合戦に軍功をあげ、関ヶ原の戦い伏見城の戦いで戦死した[1]。その息子の忠政は父の戦功により加増を繰り返され、元和8年(1622年)には出羽国山形藩主20万石となる[4]。寛永3年(1626年)にはさらに2万石の加増があって22万石となったが、寛永13年(1636年)に忠恒が無嗣で死去、また故あって改易に処された[4]

しかし元忠の旧功により忠恒の弟にあたる忠春が信濃国高遠藩3万2000石を与えられた。元禄2年(1689年)にも再び改易に処されたが、やはり元忠の功で能登国下村藩1万石が与えられ、元禄8年(1695年)には近江国水口藩2万石に加増移封となり、正徳2年(1712年)に下野国壬生藩3万石に加増移封となり、以降廃藩置県まで壬生藩に定着した[5][1]

元忠の三男・鳥居成次も父の旧領を与えられ、甲斐国谷村藩藩主となり、元和2年には徳川忠長の付家老に任じられて3万5000石を領したが[6]、忠長の改易に連座して改易となっている。

江戸時代後期に庶流の旗本家から鳥居耀蔵大給松平氏出身、林述斎の子)が出て、目付南町奉行を務めて甲斐守の官位を与えられ、水野忠邦の片腕として天保の改革の民衆弾圧を指揮して「妖怪(耀甲斐)」と恐れられた[7]

最後の壬生藩主忠宝の代の幕末に家中は尊王攘夷をめぐって藩論を二分したが、戊辰戦争では官軍に参加した[8]。明治2年(1869年)6月24日に版籍奉還により壬生藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県まで藩知事を務めた[9]

明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家大名家が統合されて華族制度が誕生すると鳥居家も大名家として華族に列した[10][11]

版籍奉還の際に定められた家禄は現米で1017石[12][13][注 1]。明治9年の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と引き換えに支給された金禄公債の額は3万5930円66銭4厘(華族受給者中152位)[13]。明治前期に忠宝の子忠文の住居は東京市本所区柳島町にあった。当時の家扶は井狩利佑[15]

明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同月8日に旧小藩知事[注 2]として忠文が子爵に列せられた[17]

忠文は外務省官僚として副領事、公使館書記官、外務省書記官などを歴任した後、貴族院子爵議員に当選して務めた[3]

その孫の3代子爵忠博の代の昭和前期に鳥居子爵家の邸宅は東京市麹町区四番町にあった[18]

現在、鳥居宗家は壬生に存在する。また、下野国であった栃木県内に散らばる多くの鳥居姓は、この鳥居氏の末裔たちである。愛知県岡崎市渡町には鳥居氏発祥地の碑がある[19]

略系図

実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。
長範(熊野別当)?
 
 
 
鳥居重氏1[注 3]
 
 
 
忠氏2
 
 
 
重茂3
 
 
 
忠茂4
 
 
 
重俊5
 
 
 
重勝6
 
 
 
忠勝7
 
 
 
忠俊8
 
 
 
忠吉9
 
 
 
忠景10
 
 
 
重政11
 
 
 
重春12
 
 
 
重近13
 
 
 
重賢14
 
 
 
重元15
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠次16吉守
 
 
 
 
 
忠明17吉則
 
 
 
 
 
忠吉18吉清
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠宗本翁意伯元忠19忠広
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
康忠忠政20成次忠勝忠頼忠昌
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠恒21戸沢定盛忠春22忠房忠春
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠則23忠辰忠虎揖斐政寿忠春
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠英24忠瞭
 
 
 
忠瞭25
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠意26大久保忠翰忠亮
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠求坪内定系忠計忠見竹中元恭忠温戸川安昶忠寄忠良忠貴
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠貴竹村嘉道忠燾27
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠威28忠挙
 
 
 
忠挙29
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠粛忠宝30忠文
 
 
 
忠文31
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
忠一32三宅忠強住友忠輝忠治忠博
 
 
 
忠博33
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
信通[注 4]34[注 5]

脚注

注釈

  1. ^ 明治2年6月17日の版籍奉還時、藩財政と藩知事の個人財産の分離のため、藩の実収入(現米)の十分の一をもって藩知事個人の家禄と定められた[14]
  2. ^ 旧壬生藩は現米1万170石(表高3万石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[16]
  3. ^ 熊野別当・新宮別当家19代当主(行範)。
  4. ^ 鷹司公爵家分家鷹司信熙の子。
  5. ^ 川島米太郎の子。

出典

  1. ^ a b c "鳥居氏". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年11月8日閲覧
  2. ^ 小田部雄次 2006, p. 334.
  3. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 244.
  4. ^ a b c d 新田完三 1984, p. 816.
  5. ^ 新田完三 1984, p. 817-818.
  6. ^ "鳥居成次". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2022年12月19日閲覧
  7. ^ "鳥居耀蔵". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年12月19日閲覧
  8. ^ "壬生藩". 藩名・旧国名がわかる事典. コトバンクより2023年8月25日閲覧
  9. ^ 新田完三 1984, p. 819.
  10. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  11. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  12. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 20.
  13. ^ a b 石川健次郎 1972, p. 36.
  14. ^ 刑部芳則 2014, p. 107.
  15. ^ 石井孝太郎『国立国会図書館デジタルコレクション 明治華族名鑑』深沢堅二、1881年(明治14年)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994441/42 国立国会図書館デジタルコレクション 
  16. ^ 浅見雅男 1994, p. 151.
  17. ^ 小田部雄次 2006, p. 336.
  18. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 243.
  19. ^ 鳥居氏一族の発祥地”. 岡崎いいとこ風景ブログ. 岡崎市まちづくりデザイン課 (2010年4月16日). 2021年7月19日閲覧。

参考文献

外部リンク


鳥居家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:43 UTC 版)

矢作藩」の記事における「鳥居家」の解説

譜代。4万石鳥居元忠(もとただ) 鳥居忠政(ただまさ)

※この「鳥居家」の解説は、「矢作藩」の解説の一部です。
「鳥居家」を含む「矢作藩」の記事については、「矢作藩」の概要を参照ください。


鳥居家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/26 10:06 UTC 版)

山形藩」の記事における「鳥居家」の解説

最上家改易後、その旧領には出羽新庄藩から上山藩本荘藩鶴岡藩など様々な藩が立藩された。山形藩には20万石とも22万石とも、24万石ともいわれる石高で、徳川家譜代重臣磐城平藩12万石から加増移封された鳥居忠政入部した。忠政は関ヶ原合戦前哨戦となった伏見城の戦い宇喜多秀家率い西軍相手奮戦して討死した鳥居元忠嫡子である。幕府は元忠同様に忠政を信任しており、この山形移封東国押さえのためだった実際庄内藩酒井家14万石)や新庄藩戸沢家(6万石)、能見松平家上山藩(4万石)は鳥居家と姻戚関係にあり、東北存在する米沢藩30万石の上杉家仙台藩62万石)の伊達家久保田藩20万石)の佐竹家備えるための移封だったと推測されている。 忠政は領地加増された上、軍事的な意味から転封されたので家臣団増強軍事組織編成行なった。また元和9年1623年)から翌年にかけて元和検地実施し城下町改造整備行なった。 忠政は寛永5年1628年9月死去し家督嫡子の忠恒が継いだ。しかし忠恒は病弱公務が務まらず、嗣子が無いまま寛永13年1636年)に継嗣無く33歳病死したので、末期養子の禁令に触れてしまい、鳥居家は改易となった。のち、幕府は忠政の父・元忠の勲功大きい事を考慮して、忠恒の異母弟忠春が信濃高遠藩に3万石(32000石とも)で鳥居家を継ぎ立藩している。 この鳥居家の改易に関して大政参与井伊直孝が「世嗣の事をも望み請ひ申さざる条、憲法背きて、上をなみし奉る似たり」とした上で斯くの如き輩は懲らされずんば、向後不義不忠御家人等、何を以て戒めんや」としたため幕府は「末期に及び不法のこと申請せし」(寛政重修諸家譜)として、所領没収となった。ただし、鳥居忠政井伊直勝(直孝の兄)の時に直勝の正室(忠政の娘)の処遇めぐって両家対立しており、直孝もその旧怨から鳥居家を改易追い込んだという説もある。

※この「鳥居家」の解説は、「山形藩」の解説の一部です。
「鳥居家」を含む「山形藩」の記事については、「山形藩」の概要を参照ください。


鳥居家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 01:41 UTC 版)

高遠藩」の記事における「鳥居家」の解説

譜代 32000石 忠春(ただはる)従五位下主膳正。 忠則(ただのり従五位下左京亮

※この「鳥居家」の解説は、「高遠藩」の解説の一部です。
「鳥居家」を含む「高遠藩」の記事については、「高遠藩」の概要を参照ください。


鳥居家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 17:44 UTC 版)

おみやさんの登場人物」の記事における「鳥居家」の解説

おたま 演 - 菅井きん第1シリーズ - 第6シリーズ) 鳥居家の家政婦。自らを「たま」と呼び鳥居のことは「坊ちゃま」と呼んで甲斐甲斐しく世話を焼いている。 鳥居家にしばしば上がり込んだり、食事をしていったり、時には空き部屋借りて泊っていくことすらある洋子宿敵のような目で見つめ、時には悪口合戦にまで発展する様子は、まるで嫁姑の関係と類似している(が、シリーズ重ねにつれて互いに理解し合ってきているようだった)。 福成すず 演 - 鷲尾真知子第7シリーズ - ) 鳥居家の家政婦(おたまの姪)。おたまが旅行行ったために臨時雇われたが、そのまま家政婦続けている。自らを「すず」と呼ぶ。薙刀2段腕前。 おたまからの「坊ちゃまに悪い虫つかないように」という言葉忠実に守るべく、身の回り世話をしている。 鳥居好いており、洋子やちはるが鳥居家に立ち入ることを快く思っていない。 横文字に弱いらしく、劇中では「アンチエイジング」が分かっていなかった。

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