韓国での報道
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太字は関連する出来事 朝日新聞植村隆「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」 金学順を報道 1991/8/11 1991年8月14日(KBSニュース) 「挺身隊被害者金学順ハルモニ記者会見」〜17歳の時に養父と満洲へ。そこで3ヶ月の慰安婦生活。金学順は現在家族もなく、国からの毎月10kgの支給米と貧困保護費3万ウォンで生活中。(東亜日報2008年の記事では就労事業所の日当3万ウォン) 韓国MBC放送、慰安婦がヒロインのドラマ『黎明の瞳』を放映 1991/10/7〜1992/2/6 1991年11月29日(KBSニュース)「従軍慰安婦、強制動員を確認」〜NHK報道でヤマダ(元日本軍)が軍の直接管理だったことを告白。強制動員に関わった日本人としてヤマダの他、吉田清治の証言を紹介。他、渡辺美智雄(外務省)のコメント。 金学順ら3名の慰安婦らが日本政府を提訴 1991/12/6 1991年12月6日(KBSニュース)「強制動員遺族会訴訟」〜日本政府に対する訴訟、遺族会の会見。「ただ一生を涙の中で生きてきた。これはお金では補償できない。元どおり17歳時に戻してほしい。」と金学順が絶叫して会見場は沈黙したとの報道。 朝日新聞「慰安所、軍関与示す資料」 吉見義明が発見したと報道 1991/1/11 1992年1月11日(KBSニュース)「日本の主張に偽りが判明」〜慰安婦を募集管理した公式記録、慰安所管理規定、米国公文書の捜査記録などが報道され、日本社会の動揺と真相究明の動きを伝える。宮澤喜一首相の訪韓を前に謝罪があるだろうとコメント。 加藤紘一官房長官が「お詫びと反省」の談話 1991/1/13 1992年1月13日(KBSニュース)「犠牲者遺族会が韓国外務省を訪問」〜宮澤首相の訪韓を前に日本への謝罪と賠償を要求する手紙を渡す。「日本の公式謝罪と賠償」「被害者名簿公開」「韓国徴用者の未払い賃金の支払い」を要求。 韓国で挺身隊と慰安婦を同一視した表現での報道が広がる 1992年1月14日(KBSニュース)「東京に挺身隊資料収集直通電話設置」〜1日で約200件も慰安婦を利用した元軍人からの電話があったと報道。14、15、16日に集められた証言は金学順らによる訴訟の証拠として提出される。(いわゆる従軍慰安婦110番) 1992年1月14日(KBSニュース)「挺身隊被害損害賠償請求訴訟」〜日本の蛮行を裏付ける証拠と、17万から19万人と推定される挺身隊への波及を伝え、また国際法上も日本国内法でも不法行為として勝訴できるだろうと報道。日本は挺身隊の募集に直接関与した点や、またそれを否定した状態で結んだ請求権協定には挺身隊問題は含まれないとの見解。 1992年1月14日(KBSニュース)「沈黙の挺身隊」〜3名の元慰安婦(金学順、裴奉奇、노시복)を紹介。最後に城田すず子のインタビュー「1日に30〜40人に強要」。挺身隊強制連行(「人間狩り」「奴隷狩り」と表現)が広くアジアで行われ、その目的は民族の母体となる女性を踏みにじることにあったと金一勉「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」を引用。 宮澤首相訪韓1991/1/16 1992年2月8日(KBSニュース) 「日本の挺身隊、政府が賠償すべき」〜吉田清治「千人を超える韓国の女性を、、、」、日本人従軍看護婦「従軍慰安婦問題はひどかった」という証言映像。吉見義明による資料発見、伊東秀子議員(社会党)による追及、加藤紘一官房長官の談話などを紹介。しかし日本社会は謝罪するムードにないこと、また1992.3刊文藝春秋「諸君!」より徳岡孝夫「紳士と淑女」や佐藤勝巳「従軍慰安婦か北の核か」の誌面映像とともに日本マスコミも韓国に否定的姿勢であると報道。 日本政府への訴訟に元慰安婦6人が追加(計9人に) 1992/4/13 1993年10月29日(KBSニュース)「朝鮮人徴兵者名簿が政府文書保管庫へ」〜日本に連行されて行った24万人の個人情報と捕虜新文書などの補助記録を含む朝鮮人徴兵者名簿が日本厚生省などから韓国政府へ引き渡されたことを報道。金学順が「数十万にのぼる慰安婦なく、信じられない。」と批判。 アジア女性基金が償い事業、内容説明のため訪韓 1996/8 1996年8月15日(ハンギョレ新聞)「民間資金を拒否、欲しいのは政府の謝罪だけ」〜金学順「私が強く求めているのは、気休めのお金ではなく(尊厳の)回復です。私は政府から提供されたアパートに住んでいて、毎月25万ウォンの支援金を受け取っています。金なんていらない。」 金学順 73歳 肺疾患により梨花女子大附属病院で死亡 1997/12/16 1997年12月16日(KBSニュース)「最初の告白者、金学順ハルモニ死亡」〜記者「17歳で日本軍に連行され、5ヶ月の間に恥辱の生活」、「2年前から政府の補助金と10坪のアパートを提供され」「遺言で2000万ウォンを寄付」「挺身隊対策協会への従軍被害女性登録者数は現在約160人」 1997年12月17日(ハンギョレ新聞)「日本公式謝罪を促す先頭に立った。金学順さん死去」〜生涯集めた約2千万ウォンを「私より不幸な人生を生きている人のために」と、自分が通っていたソウル東大門メソジスト教会に寄贈 2008年12月16日(東亜日報)「日雇い、行商、家政婦をして400万ウォンの部屋で日々を耐え」「毎月10kgの支給米と日当3万ウォンの就労事業所が支え。」「就労事業場で原爆被害者李孟姫(イ・メンヒ)ハルモニと偶然に出会い勇気を得て、事実を初めて話すことにした。」
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