過去の動態保存機
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「国鉄C12形蒸気機関車」の記事における「過去の動態保存機」の解説
大井川鐵道でC12 164が動態保存されていた。1937年(昭和12年)9月に日本車輌製造で落成(製造番号 484)。同年9月12日に上諏訪機関区に新製配置された。1949年(昭和24年)3月1日に岡山機関区に転属してからは、入換作業や貨物列車に使用され、1961年(昭和36年)3月31日に厚狭機関区に転属してからは、宇部線等で石灰石輸送列車に使用され、1973年(昭和48年)3月31日に運用を終了した。同年9月20日に木曽福島機関区で廃車となり、同月24日に本川根町(現・川根本町)に無償貸与された。同日に大井川鉄道(現・大井川鐵道)へ入線し、同年10月から千頭駅構内で静態保存されていたが、のちに動態復元工事を受け、走行が可能となった。1976年(昭和51年)7月9日からSL急行「かわね路号」として営業運転されているC11 227の予備機となった。単機で運用されたほか、同鉄道保有の蒸気機関車との重連運転や一部区間の後部補機にも使用された。検査期限切れのため、1984年(昭和59年)5月に休車となり、千頭駅構内で保管されたが、公益財団法人「日本ナショナルトラスト」が本機を購入することが1985年(昭和60年)11月15日に決定され、1986年(昭和61年)ごろから募金活動が行われた。市民の募金で1987年(昭和62年)2月に購入し、同月25日に国鉄との車両取得手続きが完了した。同年4月28日に新金谷車両区へ回送され、同5月14日に再度動態復元工事を開始。7月24日に労働省(現・厚生労働省)からボイラーの認可を、運輸省(現・国土交通省)から車両設計の認可を受けた本機は、同日に試運転を実施。翌25日に運行を開始した臨時SL急行「トラストトレイン」の牽引で、運用を再開した。同列車としての運用は1か月に1回であったが、かわね路号等にも使用されたこともある。しかし、2005年(平成17年)からのATS設置義務化に対応していなかったため、同年4月23日のトラストトレインをもって運用を終了。翌24日から休車となった。日本ナショナルトラストは、ATS設置費用確保のための募金活動を同6月から実施したが、必要額の半分程度しか集まらず、その後の検査でボイラーの不具合も判明したため、静態保存に変更することを募金協力者に通知した。大井川鐵道に塗装を整備され、2011年(平成23年)10月7日からは新金谷駅構内の転車台での展示機となっている。2016年(平成28年)9月28日に、大井川鐵道が日本ナショナルトラストと同年9月1日付で寄託契約を締結し、再び動態保存を目指す方向で調整することについて合意をした。 真岡鐵道所有の動態保存機C12 66、北真岡 - 西田井間、2018年 C12 66と予備機のC11 325の重連、茂木駅、2010年 台湾の彰化扇形庫で並ぶ動態保存機3両、CK124(中央)、CK101、DT668、2014年 一時大井川鉄道で動態保存されたのち、新金谷駅構内で静態保存されているC12 164、2012年 若桜鉄道で動態保存に向けて活動が進められているC12 167、2011年
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過去の動態保存機
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「国鉄C58形蒸気機関車」の記事における「過去の動態保存機」の解説
梅小路蒸気機関車館にて保存されていたC58 1が1979年(昭和54年)、C57 1とともに山口線にて復活した。詳細は以下のとおり。 1938年(昭和13年)8月4日に汽車製造で製造され(製番1578)、新鶴見機関区(大宮機関区名義)に配置された。当初は横浜線の貨物列車に使用された。1949年(昭和24年)4月1日に千葉機関区へ転属してからは、房総西線(現・内房線)・房総東線(現・外房線)の旅客・貨物列車に使用されていた。しかし、C57形の入線により、同年7月6日に北へ送られることになり、1950年(昭和25年)5月30日に北見機関区へ転属した。1972年(昭和47年)9月16日に梅小路蒸気機関車館で収蔵されるが、1978年(昭和53年)12月に全検切れとなった。しかし、山口線での蒸気機関車牽引列車の運行が正式に決定されることになり、1979年(昭和54年)に鷹取工場で検査を受け、同年8月31日に山口線で試運転が実施された。1980年(昭和55年)1月5日に同線で団体列車を牽引し、C57 1の予備機となった。同線運転期間中は緑地や赤地のナンバープレートを装着し、集煙装置を取り付けて運行された。同年6月1日にC57 1との重連で運転された。その後も、C57 1との重連運転が時折行われ、旧型客車をC57 1との重連運転で牽引した実績もある。山口線以外での運行例は、1980年(昭和55年)6月13日から6月15日に横浜港開港120周年記念事業として横浜臨港線を走行し、1981年(昭和56年)12月6日から12月12日には日豊本線別府 - 豊肥本線三重町間において、「SL豊の国号」が運行された。 しかし、国鉄末期の財政難やボイラー老朽化による故障の連続発生などの事情から復活後最初の全般検査が実施されず、1984年(昭和59年)1月3日の初詣列車牽引を最後に運転を終了した。さらには梅小路蒸気機関車館保存機整理により、1986年5月30日(1987年3月という説もある)に車籍抹消となり、以後静態保存機として現在に至る。 北見機関区時代は、旋回窓やバタフライスクリーンなど北海道所属機特有の装備を施されていたが、除煙板については将来の保存を見越して切り詰め工事が行なわれず原形に近い姿を保っていた。平成時代ではお召し列車牽引時を想定した姿となっており、除煙板には金色の鳳凰が描かれた装飾が施され、ランボードに金色の手すりが追加されている。なお当機は、現役時代一度もお召し列車を牽引した実績を持っていない。2019年3月にC51 239がお召し仕様として整備されるにあたり、当機の装飾を利用したため除煙板の鳳凰が消失した(ランボードの手すりは存続)。また、2003年(平成15年)ごろにC56 160が全般検査に入場した際、汽笛の鳴り具合が悪かったことから当機のものと交換が行われ、現在のC56 160はこのC58 1が使用していた汽笛を吹鳴している。
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