過去の動態保存機とは? わかりやすく解説

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過去の動態保存機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:38 UTC 版)

国鉄C12形蒸気機関車」の記事における「過去の動態保存機」の解説

大井川鐵道C12 164動態保存されていた。1937年昭和12年9月日本車輌製造落成製造番号 484)。同年9月12日上諏訪機関区新製配置された。1949年昭和24年3月1日岡山機関区転属してからは、入換作業貨物列車使用され1961年昭和36年3月31日厚狭機関区転属してからは、宇部線等で石灰石輸送列車使用され1973年昭和48年3月31日運用終了した同年9月20日木曽福島機関区廃車となり、同月24日本川根町現・川根本町)に無償貸与された。同日大井川鉄道(現・大井川鐵道)へ入線し、同年10月から千頭駅構内静態保存されていたが、のちに動態復元工事を受け、走行が可能となった1976年昭和51年7月9日からSL急行かわね路号」として営業運転されているC11 227予備機となった単機運用されたほか、同鉄道保有蒸気機関車との重連運転や一区間後部補機にも使用された。検査期限切れのため、1984年昭和59年5月休車となり、千頭駅構内保管されたが、公益財団法人日本ナショナルトラスト」が本機購入することが1985年昭和60年11月15日決定され1986年昭和61年)ごろから募金活動が行われた。市民募金1987年昭和62年2月購入し同月25日国鉄との車両取得手続き完了した同年4月28日新金谷車両区回送され、同5月14日再度動態復元工事開始7月24日労働省(現・厚生労働省)からボイラー認可を、運輸省現・国交通省)から車両設計認可受けた本機は、同日試運転実施。翌25日運行開始した臨時SL急行トラストトレイン」の牽引で、運用再開した同列としての運用1か月1回であったが、かわね路号等にも使用されたこともある。しかし、2005年平成17年)からのATS設置義務化に対応していなかったため、同年4月23日トラストトレインをもって運用終了。翌24日から休車となった日本ナショナルトラストは、ATS設置費用確保のための募金活動を同6月から実施したが、必要額の半分程度しか集まらず、その後検査ボイラー不具合判明したため、静態保存変更することを募金協力者通知した大井川鐵道塗装整備され2011年平成23年10月7日からは新金谷駅構内転車台での展示機となっている。2016年平成28年9月28日に、大井川鐵道日本ナショナルトラスト同年9月1日付で寄託契約締結し、再び動態保存目指す方向調整することについて合意をした。 真岡鐵道所有動態保存機C12 66北真岡 - 西田井間、2018年 C12 66予備機C11 325重連茂木駅2010年 台湾彰化扇形庫で並ぶ動態保存機3両、CK124中央)、CK101、DT6682014年 一時大井川鉄道動態保存されたのち、新金谷駅構内静態保存されているC12 1642012年 若桜鉄道動態保存向けて活動進められているC12 1672011年

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過去の動態保存機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:16 UTC 版)

国鉄C58形蒸気機関車」の記事における「過去の動態保存機」の解説

梅小路蒸気機関車館にて保存されていたC58 1が1979年昭和54年)、C57 1とともに山口線にて復活した詳細以下のとおり1938年昭和13年8月4日汽車製造製造され製番1578)、新鶴見機関区大宮機関区名義)に配置された。当初横浜線貨物列車使用された。1949年昭和24年4月1日千葉機関区転属してからは、房総西線(現・内房線)・房総東線(現・外房線)の旅客貨物列車使用されていた。しかし、C57形入線により、同年7月6日北へ送られることになり、1950年昭和25年5月30日北見機関区転属した。1972年昭和47年9月16日梅小路蒸気機関車館収蔵されるが、1978年昭和53年12月に全検切れとなった。しかし、山口線での蒸気機関車牽引列車運行正式に決定されることになり、1979年昭和54年)に鷹取工場検査を受け、同年8月31日山口線試運転実施された。1980年昭和55年1月5日に同線で団体列車牽引しC57 1予備機となった。同線運転期間中緑地赤地ナンバープレート装着し集煙装置取り付けて運行された。同年6月1日C57 1との重連運転された。その後も、C57 1との重連運転時折行われ旧型客車C57 1との重連運転牽引した実績もある。山口線以外での運行例は、1980年昭和55年6月13日から6月15日横浜港開港120周年記念事業として横浜臨港線走行し1981年昭和56年12月6日から12月12日には日豊本線別府 - 豊肥本線三重町間において、「SL豊の国号」が運行された。 しかし、国鉄末期財政難ボイラー老朽化による故障連続発生などの事情から復活後最初全般検査実施されず、1984年昭和59年1月3日初詣列車牽引最後に運転を終了したさらには梅小路蒸気機関車館保存機整理により、1986年5月30日1987年3月という説もある)に車籍抹消となり、以後静態保存機として現在に至る。 北見機関区時代は、旋回窓やバタフライスクリーンなど北海道所属機特有の装備施されていたが、除煙板については将来保存見越して切り詰め工事が行なわれず原形に近い姿を保っていた。平成時代ではお召し列車牽引時を想定した姿となっており、除煙板には金色鳳凰描かれ装飾施されランボード金色の手すりが追加されている。なお当機は、現役時代一度お召し列車牽引した実績持っていない。2019年3月C51 239お召し仕様として整備されるにあたり、当機の装飾利用したため除煙板鳳凰消失したランボードの手すりは存続)。また、2003年平成15年)ごろにC56 160全般検査入場した際、汽笛鳴り具合悪かったことから当機のものと交換が行われ、現在のC56 160はこのC58 1が使用していた汽笛吹鳴している。

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