貴族院の重鎮とは? わかりやすく解説

貴族院の重鎮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:48 UTC 版)

谷干城」の記事における「貴族院の重鎮」の解説

明治23年1890年7月貴族院議員選挙当選し政界に復帰11月29日帝国議会開会迎えると学習院掲げた皇室藩屏たらんとし、政党政府から自立して懇話会属し地租増徴反対するなど独自の政治運動展開した天皇元田からは枢密院宮中入り望まれたが、それを断り政界から皇室を守ることを決断した上で貴族院入りだった。 国粋主義農本主義立場から、藩閥とも板垣民権派とも異な保守的な中正主義で、土佐派重鎮として重きをなしていた。政治思想かねてから主張元にしてまとめ、天皇忠誠を尽くす皇室崇敬衆議院政党)と政府からの独立および監視政党政府関係なく政策吟味し国民利益になる場合賛成そうでない内容では反対する是々非々主義国民利益重視する国家主義唱えた。この思想貴族院のほとんどの有力者掲げ貴族院全体目指す普遍的な目標であり、谷は同じく政界入りした曾我と、主張一致する三曜会領袖近衛篤麿組んで政争立ち向かっていった。 第1次山縣内閣では自由党政府予算を巡る論争焦点になり、自由党とは約1割削減妥協して明治24年1891年3月2日予算衆議院通過した。ところが、貴族院では予算委員長の谷が予算通過反対審議時間が短過ぎること、ろくに予算検討出来ずそのまま通過させるしかないことを問題にしたが、最初議会予算成立させたい大勢流れ逆らえず、予算4日後の6日貴族院通過成立した次の第1次松方内閣では谷を中心としたグループ結成進み、谷が12月14日政費節減同様の主張掲げた民党違い節減捻出し財源地租軽減ではなく国防充実振り分けることを主張していた)・政府への批判込めた勤倹尚武建議案」を提出、彼を含むグループ勤倹尚武連呼ばれ懇話会原型作られた。建議案は親政府派の研究会抵抗否決され谷は敗北悔しがるが、近衛三曜会との連携グループ形成進み懇話会結成貴族院親政府派の研究会反政府派懇話会三曜会二分されていった懇話会明治25年1892年)頃に結成されたといわれ(異説あり)、谷を始め曾我山川など彼と縁が深い人々集まった。しかし中身組織としてのまとまり弱く各人勝手に自己主張言いだす有様で、団結重視研究会にとても対抗出来なかった。それでも個々人力量強いため、議会初期三曜会と並ぶ貴族院の有力会派として注目されたが、やがて研究会組織固めると劣勢に追い込まれていった内閣との対決姿勢続き明治25年2月内閣が行った第2回衆議院議員総選挙への選挙干渉対す抗議建議案を5月提出前後して衆議院民党提出した決議案並び両院から不信任突き付けられたも同然内閣動揺干渉生じた閣僚との対立収められず、7月総辞職した8月成立した第2次伊藤内閣では強硬姿勢緩め衆議院政府仲介申し出た政府却下された)こともあったが、明治26年1893年)に条約改正問題上がる対外硬加わり政府との対決路線戻り12月衆議院解散される理由伊藤問い質し民党弁護し伊藤抗議している。翌明治27年1894年6月再度解散にも抗議したが、7月日英通商航海条約成立条約改正成功した時は明確な反対はしていない日清戦争が起こると挙国一致立場から予算通過尽力し政府協力したが、明治28年1895年)の終戦後反政府戻り三国干渉戦後財政批判朝鮮公使三浦推薦したが、彼が乙未事変引き起こしたと知ると驚愕している。戦後自由党内閣手を組み衆議院戦後予算通過したことに反発軍拡含めた予算反対したが通らず研究会賛成予算貴族院通過した明治29年1896年)に成立した松方正義大隈連立政権第2次松方内閣)でも軍拡予算反対したが、近衛松方推薦貴族院議長就任、谷も松方支持しているため決定的な対立避け予算通過させた。代わりに元来主張していた明治30年1897年)の新聞紙条例改正通り金本位制導入にも積極的に取り組み貨幣法公布尽力懇話会三曜会と谷の威信増大していった。

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