さんごく‐かんしょう〔‐カンセフ〕【三国干渉】
三国干渉
三国干渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 15:38 UTC 版)
三国干渉(さんごくかんしょう、旧字体:三國干涉)は、1895年(明治28年)4月23日にフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国が日本に対して行った勧告である。日清戦争の日本の勝利とそれに伴う下関条約により日本に割譲された遼東半島を清国に返還することを要求する内容だった。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 中山(1990)pp.117-122
- ^ a b c d 原田(2007)pp.84-87
- ^ a b c 加藤(1998)pp.389-393
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 海野(1992)pp.69-73
- ^ a b c d 陳(1983)pp.63-71
- ^ a b c d e f g h 『新版 蹇蹇録』(1983)pp.271-301
- ^ a b c 河合(1969)pp.70-71
- ^ a b c d e f g h i 『新版 蹇蹇録』(1983)pp.302-324
- ^ a b 『台湾の歴史:日本統治時代の台湾:一八九五-一九四五/四六年:五十年の軌跡』末光欣也、致良出版, 2007/11/01、p670
- ^ 『陸奥宗光著『蹇蹇録』(岩波文庫)』、『宇野俊一著『日本の歴史26 日清・日露』(1976、小学館)』
- ^ 陸奥 宗光 (1983.7). 蹇蹇録―日清戦争外交秘録. Mutsu, Munemitsu 1844-1897., Nakatsuka, Akira 1929., 陸奥, 宗光 1844-1897, 中塚, 明 1929. 岩波書店. ISBN 4003311418. OCLC 959712114
- ^ DIGITALIO, Inc.. “徳富蘇峰(とくとみそほう)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 改訂新版 世界大百科事典. 2024年4月19日閲覧。 “熊本では自由民権の結社相愛社に加盟(中略)日清戦争開戦前後から国家の対外的膨張を自然かつ当然とする膨張主義の立場へと移りはじめ,三国干渉後はこの立場から挙国一致と軍備増強を叫ぶようになる。”
三国干渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:03 UTC 版)
詳細は「三国干渉」を参照 調印された日清講和条約の内容が明らかになると、ロシアは、日本への遼東半島割譲に反発した。4月23日、フランス・ドイツと共に、日本に対して清への遼東半島還付を要求した(三国干渉)。翌24日、広島の御前会議で日本は、列国会議を開催して遼東半島問題を処理する方針を立てた。しかし25日早朝、病床に就く陸奥外相が訪ねてきた伊藤首相に対し、1) 列国会議は三国以外の干渉を招く可能性が、2) 三国との交渉が長引けば清が講和条約を批准しない可能性があるため、三国の要求を即時受け入れるとともに、清には譲歩しないことを勧めた。 5月4日、日本は、イギリスとアメリカが局外中立の立場を採ったこともあり、遼東半島放棄を閣議決定した。翌5日、干渉してきた三国に対し、遼東半島の放棄を伝えた。なお11月8日、清と遼東還付条約を締結した。
※この「三国干渉」の解説は、「日清戦争」の解説の一部です。
「三国干渉」を含む「日清戦争」の記事については、「日清戦争」の概要を参照ください。
「三国干渉」の例文・使い方・用例・文例
- 三国干渉
三国干渉と同じ種類の言葉
- 三国干渉のページへのリンク