中塚明による分析
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:32 UTC 版)
当時からこれは露・独・仏からの外圧に負けたことであり、この三国干渉を読めなかった陸奥宗光の失策であるという批判が存在するが、中塚明は陸奥宗光の回顧録の研究によって否定している。中塚によると、陸奥はロシアからの外圧をあらかじめ読んでおり、それを織り込み済みの上で敢えて下関条約で遼東半島を清に要求していたという(ただし、陸奥は三国干渉の黒幕をロシアと読んでいたが、実際にはドイツ皇帝のヴィルヘルム2世だったとしている。)これは、イギリスと長くグレートゲームを戦っていたロシアは不凍港を中央ヨーロッパに求めることを諦め、アジアに注目している。そんな折にアジアで清国と日本が戦争をしたら、その結果に対して必ずなんらかの形で口出しをしてくるはずだと予見していたという。
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