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しものせき-じょうやく ―でう― 【下関条約】
日清戦争の講和条約。1895年(明治28)4月、下関で日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章が調印。清国は朝鮮の独立確認、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金二億両(テール)の支払い、沙市・重慶・蘇州・杭州の開市・開港などを認めた。しかし、調印直後ロシアを中心とする三国干渉のため、日本は遼東半島を返還した。馬関条約。
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下関条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/09 01:37 UTC 版)
下関条約(しものせき じょうやく)は、1895年4月17日に春帆楼(しゅんぱんろう)で締結された、日清戦争後の講和会議における条約である。- ^ 「赤間関」は「赤馬関」とも表記され、江戸時代の漢学者がこれを漢風に縮めて「馬関」としたもの。
- ^ 条約調印後に「馬関」(赤間関市)が「下関」(下関市)になっても、「馬関海峡」が「関門海峡」になっても、この「馬関条約」の名称は長らく使われ続けた。「下関条約」という言い換えが完全に定着するのは、戦後になってからのことである。
- ^ 明治時代に作られた鉄道唱歌の第二集(山陽九州編)にも「世界にその名いと高き 馬關條約結びたる 春帆樓の跡とひて 昔しのぶもおもしろや」との歌詞で登場している。
- ^ 崔 基鎬『韓国 堕落の2000年史』 ISBN 4-396-31407-8
- ^ 当時、海軍では台湾全島を望む上で遼東半島は朝鮮に任せてもよいという意見が主流であり、逆に陸軍では最も血を流した遼東半島は無論のこと山東省も希望していた。
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