東京経済雑誌
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経済雑誌社が発行し同社の主たる発行物である『東京経済雑誌』は日本で最初の経済専門雑誌である。1879年(明治12年)1月に隔週刊で発行され、やがて週刊になる。1923年(大正12年)9月の廃刊まで、計2138号まで発行された。日本ではじめてアダム・スミスの『国富論』の翻訳出版を手がけた石川暎作は創刊当初より『東京経済雑誌』の編集にあたり、その社説を起草している。 自由主義的な経済論・財政論を展開し正確な経済統計や市況を掲載することで読者の評価を得ていた。ライバル誌には犬養毅らを擁し、保護主義的経済論的な立場にある『東海経済新報』があり、たがいに論争をすることもあった。1890年代には綿花輸入税・綿糸輸出税にかかわる両税廃止運動に関して、賛成の立場をとった。なお、1890年(明治23年)から1891年(明治24年)にかけては、保護主義を掲げる大島貞益が『東京経済雑誌』誌上で両税廃止反対の論陣を張っている。 1900年(明治33年)、田口卯吉の遠戚にあたる地理学者河田羆が、田口の依頼を受けて『東京経済雑誌』に連載をはじめている。 明治から大正時代の経済史及び思想史の研究には重要な雑誌である。
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