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近代日本人の肖像 |
谷干城 たに たてき
高知生まれ。陸軍軍人、政治家。父は高知藩士。武市瑞山の影響のもと、尊王攘夷運動に加わり、薩土の連携に尽力。大軍監として戊辰戦争に従軍。明治4年(1871)兵部権大丞となり、陸軍大佐に任官。6年(1873)熊本鎮台司令長官に就任。翌年、佐賀の乱の鎮定に関わり、台湾出兵にも参軍。9年(1876)熊本鎮台司令長官に再任。西南戦争で熊本城を死守。陸軍士官学校長などを経て、17年(1884)に学習院長に就任。第1次伊藤内閣農商務相。欧州視察後、政府の欧化政策、条約改正に反対し、大臣を辞職。23年(1890)貴族院子爵議員。三浦梧楼らとともに藩閥政治批判を展開し、対外硬を唱えた。
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
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谷干城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/15 13:42 UTC 版)
谷 干城(たに たてき/かんじょう、天保8年2月12日(1837年3月18日) - 1911年5月13日)は、幕末から明治にかけて活躍した、土佐藩士、軍人、政治家。通称は申太郎、守部。号は隈山。第2代学習院院長。東京学士会院会員、後に帝国学士院会員。官位は陸軍中将正二位勲一等子爵。
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- ^ 陸軍少将谷干城を台湾蕃地事務参軍に任じ給へる勅書(明治7年4月6日)が残っている。宮古島民台湾遭難事件 宮国文雄 ISBN 4-89095-097-4
- ^ 武士に対しては死罪の場合でも武士の名誉を重んじて切腹が一般的であり、斬首は例外的に行われたにすぎない。まして獄門、つまりさらし首に至っては江戸幕府でも行わなかった。
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