藁人形
★1a.呪いの藁人形。
『現代民話考』(松谷みよ子)9「木霊・蛇ほか」第1章「木霊」その1の10 昭和23年(1948)頃。ある男が、中山法華経寺門前の泣き銀杏(いちょう)に藁人形を打ちつけて、恋敵(がたき)の男を呪った。呪われた男の身体は、藁人形に釘を打たれた所と同じ部位が痛み、医者にかかっても治らず、死んでしまった。呪った男も、その後、病気で死んだ。「人を呪わば穴2つ」というとおりだ(千葉県)。
『月と不死』(ネフスキー)「遠野のまじなひ人形」 遠野辺では、泥棒が入った時には、2尺ほどの藁人形の両手を縛り、両足に釘を打ち、棒につけて村境に立てる。すると、このまじないの威力で、泥棒はきっと捕縛されるか、歩くに困る病気にかかる、と信じられている。
『封神演義』第48~49回 姜子牙(=太公望)が陸圧の教えにしたがって、西岐山に霊壇を築き、草人(=藁人形)を編んで趙公明の名を書く。姜子牙は3日かけて「釘頭七箭書」を読み上げ、7本の桃枝矢を草人の両眼・両耳・咽喉・眉間に射かけ、最後の1本を拳で脳天に打ちこむ。殷の陣地で趙公明は死ぬ。
『藁人形』(落語) 乞食坊主の西念が、女郎に30両をだまし取られる。西念は怒り、女郎を呪い殺そうと、藁人形を油で煮る。普通は藁人形に釘を打つのである。しかし女郎は、もと糠屋の娘だった。「糠に釘」ではきかないのだ〔*藁人形でなく写真を煮る物語もある→〔写真〕1の『油地獄』(斎藤緑雨)〕。
*→〔髪〕5の『悪を呪おう』(星新一『ようこそ地球さん』)。
*藁人形で貧乏神を作る→〔貧乏神〕1の『日本永代蔵』(井原西鶴)巻4-1「祈る印の神の折敷」。
*呪いの人形→〔仕返し〕3の『考え方』(スタージョン)・〔呪い〕2の『異苑』巻9-15。
『鉄輪(かなわ)』(能) 女が、自分を捨てた夫とその新たな妻を呪って、鬼になる。陰陽師清明(=晴明)が、茅の人形を等身大に作り夫婦の名字を内にこめて、女の呪いを人形に転じ変える。女が恨みを述べに現れるが、守護の神々に追い立てられて退散する。
★1c.藁人形に釘を打って人を呪うのとは逆の形で、藁人形を安全な所におけば、人も危難を逃れることができる、という物語。
『人形』(星新一『ノックの音が』) 殺人を犯して、組織と警察の両方から追われる男が、わら人形に自分の毛髪を入れ、金庫におさめる。わら人形が安全に保管されている限り、毛髪の主である男も無事なのだ。金庫を地下に埋めて万全を期すべく、男は金庫をかかえて、隠れ家から出ようとする。ところがドアも窓も開かず、屋根も壁も床もびくともしない。ちょうど、金庫の中にでも閉じ込められたかのようだった。
*→〔卵〕1のような、魂を安全な場所に隠して身を守る物語の変型である。
『太平記』巻7「千剣破の城軍の事」 千剣破(=千早)城にたてこもる楠正成は、等身大の藁人形20~30に甲冑を着せ武器を持たせて、城の麓に置く。北条幕府軍がこれを本物の兵と思って攻め登るところへ、大石を40~50落とす。幕府軍は3百余人が即死し、半死半生の者は5百余人に及んだ。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之35下第161回 犬川荘介・犬田小文吾の策により、里見の軍は藁人形1千余を船40~50艘に載せ、夜、敵軍・扇谷定正配下の陣に寄せる。敵陣からは、矢・弾丸が雨あられと放たれるが、藁人形は外を硬くして矢を受け、内を空洞にして弾丸を納めるように作ってあったので、2~3万本の矢、2~3斗の弾丸が手に入る〔*類話である→〔矢〕6の『三国志演義』第46回では、10万本の矢を得る〕。
火呑山(ひのみやま)七ッ池の大蛇の伝説 火呑山の七ッ池に棲む大蛇が、しばしば青目寺(しょうもくじ)にやって来て、寺の小僧を呑んだ。そこで和尚が、藁人形の腹中に火薬を入れ、小僧の法衣を着せて、ふとんをかけておく。夜中に大蛇が現れ、藁人形を一呑みに呑み込んで、七ッ池へ帰って行った。やがて山上で大音響がして、火柱が見えた。和尚が村人たちとともに七ッ池へ登ると、大蛇が腹をズタズタに裂かれ、血まみれで死んでいた(広島県府中市)→〔たたり〕5。
★3.藁人形のかかし。
『和漢三才図会』巻第78・大日本国「備中」 言い伝えによれば、玄賓は草偶(わらにんぎょう)を作って秋の田圃に置き、鳥が穂を啄(ついば)まないようにした。これを鳥威(とりおどし)という。後人は「僧都」といった。玄賓僧都から肇(はじ)まったからである。
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