さいとう‐りょくう【斎藤緑雨】
斎藤緑雨
斎藤緑雨
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斎藤 緑雨(さいとう りょくう 齋藤緑雨、1868年1月24日(慶応3年12月30日) - 1904年(明治37年)4月13日)は、明治時代の小説家、評論家。本名・賢(まさる)。「正直正太夫」をはじめ、「江東みどり」「登仙坊」など別名も多数ある。幸田露伴がつけたという戒名は「春暁院緑雨醒客」。
- ^ a b すみだ文学地図 1990.
- ^ 明治大学史資料センター『明治大学小史―人物編』 学文社、2011年、145頁
- ^ 伊藤整『日本文壇史4』講談社文芸文庫、1995年、83p頁。
- ^ 「この男かたきにとりてもいとおもしろし。みかたにつきなば猶さらにおかしかるべく」明治29年5月29日の日記より。
- ^ 師岡千代子 「夫・幸徳秋水の思い出」1946年東洋堂。
- ^ 師岡前掲書
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)150頁
- ^ 斎藤による警語とされることもがあるが、東京ゲーテ記念館によれば斎藤によるものとは断定できない。同館による考察も参照のこと。
- ^ 緑雨遺稿 - 近代デジタルライブラリー
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