やくし‐じ【薬師寺】
読み方:やくしじ
奈良市にある法相(ほっそう)宗の大本山。南都七大寺の一。天武天皇が皇后の病気平癒を祈願し、天皇没後の文武天皇2年(698)藤原京に完成。平城遷都に伴い、現在の地に移転。たびたび火災などで諸堂を失ったが、昭和51年(1976)に金堂、昭和55年(1980)に西塔が再建された。東塔は創建当時の遺構、東院堂は鎌倉時代の再建で、それぞれ国宝。また、薬師三尊像・聖観音菩薩立像・吉祥天画像・仏足石および仏足石歌碑(いずれも国宝)などを蔵する。平成10年(1998)「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。
栃木県下野市にあった寺。天智天皇の時の創建と伝える。天平宝字5年(761)勅命によって戒壇を設け、日本三戒壇の一となった。のち、荒廃したあとに足利尊氏が安国寺を建立。
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
薬師寺
姓 | 読み方 |
---|---|
薬師寺 | やくしじ |
薬師寺 | やんしじ |
薬師寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/03 23:03 UTC 版)
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の一つ。開基は天武天皇。
- 1 薬師寺とは
- 2 薬師寺の概要
薬師寺 (曖昧さ回避)
薬師寺(やくしじ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 01:08 UTC 版)
「まんがサイエンス」の記事における「薬師寺(やくしじ)」の解説
※この「薬師寺(やくしじ)」の解説は、「まんがサイエンス」の解説の一部です。
「薬師寺(やくしじ)」を含む「まんがサイエンス」の記事については、「まんがサイエンス」の概要を参照ください。
薬師寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 10:10 UTC 版)
「加茂地区 (徳島市)」の記事における「薬師寺」の解説
旧菅原寺。
※この「薬師寺」の解説は、「加茂地区 (徳島市)」の解説の一部です。
「薬師寺」を含む「加茂地区 (徳島市)」の記事については、「加茂地区 (徳島市)」の概要を参照ください。
薬師寺(やくしじ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:34 UTC 版)
※この「薬師寺(やくしじ)」の解説は、「アオのハコ」の解説の一部です。
「薬師寺(やくしじ)」を含む「アオのハコ」の記事については、「アオのハコ」の概要を参照ください。
薬師寺(やくしじ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:50 UTC 版)
「ろくでなしBLUES」の記事における「薬師寺(やくしじ)」の解説
浅草笹崎高校の頭。東京四天王の一人。太尊同様、無駄な喧嘩を好まず名を上げることにも興味を示さず、仲間を大事にしているので人望は厚い。後に発売されたコンビニ版コミックスによると、後述の鶴田、亀岡とは上下関係の無い間柄であり、劇中でもタメ口、かつ名前もさん付けでなく、呼び捨てで言い合う仲であった。空手を習得しており特に蹴り技が得意だが、状況によって目隠しや関節技などのテクニカルな技も使用する。また太尊のアッパーを凌ぐなど、防御技術にも長けている。
※この「薬師寺(やくしじ)」の解説は、「ろくでなしBLUES」の解説の一部です。
「薬師寺(やくしじ)」を含む「ろくでなしBLUES」の記事については、「ろくでなしBLUES」の概要を参照ください。
薬師寺と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 薬師寺のページへのリンク