第四艦隊事件
第四艦隊事件
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1936年、大日本帝国海軍の艦隊が台風に遭遇し、複数の艦艇が破壊された海難事故である。電気溶接の接合部の不良が原因のひとつとして指摘された。(→第四艦隊事件に詳述。)
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第四艦隊事件
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1931年(昭和6年)4月2日、進水。1933年(昭和8年)5月9日、竣工。艦の諸元は、全長167.2 m、全幅18.5 m、排水量7100トン、速力25ノットなど、実際に比べて少な目に発表している。呉鎮守府に所属。就役時の龍驤の搭載機は九〇式艦上戦闘機12機、一三式艦上攻撃機6機、九〇式二号艦上偵察機6機であった。後に偵察機の代わりに九四式艦上爆撃機6機を搭載した。 1934年(昭和9年)3月、水雷艇が転覆する友鶴事件が発生し、龍驤も呉海軍工廠で同年5月26日から8月20日まで、以下の工事が行われた。 従来の小型のバルジを撤去し、より大型のバルジを装着。 バラストキール、艦底バラスト合わせて約550トンを搭載。 重油タンクの一部に海水補填装置を設置、補填量は650トン。 前部下部格納庫を廃止し、上方にあった倉庫や魚雷調整所をここに移した。 12.7cm連装高角砲2基を撤去、代わりに25mm連装機銃2基を搭載。 側面遮風柵を撤去。 上部格納庫の防火扉を一部防火カーテンに換装。 信号マストを除いて他のマストは軽量のものに換装。 格納庫側壁にあった炭酸ガス消火装置をエレベーター室や下部甲板倉庫に移す。 後部エレベーターにあった鳥居型上部覆を撤去。 前部上甲板の舷外通路を撤去。 舷外中部から出ていた煙突を上部に移し、吸排気口の位置も改正して海水の浸入角度を40度以上とする。 格納庫後部の飛行機取り入れ口を閉鎖して隔壁を設け、上甲板中央部に高さ約2.5m、幅約3.8mの防水扉を新たに設置。 1935年(昭和10年)9月、第四艦隊事件に遭遇、艦橋を初めとして大きな被害を受けた。復原性能改善工事で艦首の乾舷が減少しており、艦橋前面が波に叩かれて艦橋前壁が大破、前面にあった1.5m測距儀も流失した。また舷外通路が波に叩かれて破損した。後甲板から浸入した波浪が龍驤の格納庫後端の扉を屈曲破壊し、格納庫が浸水して危機に瀕した。 1935年10月11日から翌1936年(昭和11年)5月31日まで損傷復旧工事を呉海軍工廠で行った。 艦首は甲板を1層上げて凌波性を向上させ、前方に飛び出していた艦橋前壁は垂直にして構造を頑丈にし、かつ丸みを持たせて波を舷側に流すようにし、測距儀のような突起物をなくした。なお飛行甲板もこれに合わせて前端が丸い形状となり、長さも減少し156.5mになった。 舷外通路はブラケットの下面に鋼板を張ってスポンソン形状として波浪に強くした。 格納庫後端の上甲板扉は廃止し、上方に発動機などの取出口のみ開口した。 後甲板も艦首と同様に甲板を1層あげる必要があったが、復原性能維持の観点から難しく、また短艇の運用のためには格納庫を含む大改造が必要となることからも断念された。
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第四艦隊事件
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「第四艦隊事件」も参照 剣埼進水から僅か3ヶ月後の1935年9月26日に第四艦隊事件が発生。既に進水していた剣埼の艤装工事だけでなく、まだ船台にあった高崎についても工事が中断されることとなった。この第四艦隊事件の際に赤軍第四艦隊第三戦隊として参加していた大鯨は、電気溶接を使用した隔壁部分に多数の大中小の亀裂が入り、艦橋前方外板に艦体切断の前兆である皺が発生するという被害を被った。他の艦艇も様々な被害を受けた事で、特型駆逐艦以降に建造された艦は船体強度不足である事が発覚した。そのため、建造中の艦も含む多くの艦に補強と改善が実施される事となった。既に進水している剣埼に対しても電気溶接部分に補強が施されることとなり、船台にあった高崎については、補強だけではなく船殻の一部に鋲構造が再び採用されることとなった。 だが、両艦の工事が進められていたこの時期は、先の友鶴事件で発覚した問題の改善や第二期改装計画で多くの主力艦の改装が行われていただけでなく蒼龍の建造も開始されていた時期であった。そのため各工廠は多忙を極め、新たに発生した第四艦隊事件の対策・改善も加わったことで、「剣高」の給油艦としての艤装工事は重要工事の合間を縫って行われ、完成は大幅に遅れることとなった。このため「剣高」は進水後横須賀軍港に係留され、工事が殆ど進められず放置されることとなった。
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第四艦隊事件
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詳細は「第四艦隊事件」を参照 1935年(昭和10年)に第四艦隊事件が起き本型も1936年(昭和11年)8月から11月にかけて船体補強工事が行われた。詳細は明らかでないがDS鋼による部分的な補強を行ったようである。本型の電気溶接は丁寧に行われており、大きな問題にはならなかったようである。ただ速力は更に低下し27ノットほどだったと言われる。
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