友鶴事件とは? わかりやすく解説

友鶴事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/19 13:58 UTC 版)

友鶴事件(ともづるじけん)は、1934年昭和9年)3月12日に行われた水雷戦隊の夜間演習中に佐世保港外で起きた大日本帝国海軍(日本海軍)の千鳥型水雷艇3番艦「友鶴」の転覆事故、及びその後の事故原因究明作業を通じて明らかになった艦艇設計理念上の重大な不備のことである。翌年に発生した第四艦隊事件とともに日本海軍を震撼させ、その後の艦艇設計に大きな影響を及ぼした。




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友鶴事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 11:29 UTC 版)

友鶴 (水雷艇)」の記事における「友鶴事件」の解説

1934年3月12日午前4時12分頃、佐世保港外で夜間訓練中、荒天のため転覆し殉職者72名を含む総数100名の犠牲者を出すという事故(友鶴事件)が起こった同日午後2時5分に転覆した友鶴発見し佐世保警備戦隊旗艦龍田」が曳航して翌日午前7時佐世保到着佐世保海軍工廠ドック入渠させ艇内から生存者10名を救出した調査結果千鳥型を含む藤本喜久雄造船少将設計していた艦は、復原性の不足が指摘され改善工事が行われた。友鶴修理復旧工事復原性改善工事佐世保工廠行われ1935年昭和10年5月完成した復原性改善工事内容は「千鳥」を参照)。 1935年9月第四艦隊事件起き千鳥型も1936年昭和11年8月から11月にかけて改善工事が行われた。詳細明らかでないが他艦ほど大きな問題にはならなかったようである。ただ速力は更に低下し27ノットほどだったと言われる1936年昭和11年12月に第21水雷隊を同型艇4隻で編成し中国方面進出上陸支援封鎖作戦などに従事した太平洋戦争開戦後緒戦南方攻略作戦支援その後船団護衛などに従事した1942年3月15日軽巡洋艦鬼怒」、水上機母艦千歳」や駆逐艦雪風」、「時津風」などとともにN攻略部隊編成し同月末から西部ニューギニア戡定作戦従事。N攻略部隊アンボン集結し3月29日夜から30日早朝にかけて出撃4月22日にN攻略部隊マノクワリ集結完了して作戦終了し翌日N攻略部隊の編制解かれた。続いて軽巡洋艦五十鈴」などとともにS攻略部隊編成し小スンダ列島戡定作戦従事。「友鶴」は集結地のスラバヤ5月7日到着し翌日部隊同地出撃5月21日から25日にかけてスラバヤ帰投し、5月25日にS攻略部隊の編成解かれた。 1943年1月2日から5日陸軍杉浦支隊が「國玉丸」でアンボンからアルー諸島輸送され、「友鶴」と「初雁」がそれを護衛した続いて友鶴」は杉浦支隊一部カイ諸島輸送6日輸送終えアンボン向かったが、その途中で爆撃を受け至近弾で損傷し死者7名負傷者7名を出した。「友鶴」は機械室第二缶室に浸水して航行不能となり、「初雁」に曳航されて12日アンボン到着した

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友鶴事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 04:05 UTC 版)

千鳥型水雷艇」の記事における「友鶴事件」の解説

詳細は「友鶴事件」を参照 このような艦艇限界超えるような過大な兵装は、艦の復原性不足することとなると指摘があったが、艦政本部責任者藤本喜久雄少将(当時)は用兵側の要求を満たすためこのような艦を建造し続けた。[要出典]その結果1934年(昭和9年)3月3番艦「友鶴」が荒天のため転覆総員113名中死者行方不明者あわせて100名を出すという大事故起こった調査結果千鳥型を含む多く新造艦復原性の不足が指摘され復原性改善工事行った。 本型の場合建造中だった4番艦「初雁」は復原性改善工事施し同年7月竣工、「千鳥」「真鶴」は同年秋に工事完成、「友鶴」は事故復旧同時に復原性改善工事行った。 本型の主な工事内容以下のとおりバルジ撤去 バラストキール(幅1,050mm、深さ450mm)を取り付け艦底やバラストキール内にバラスト98トン搭載する艦橋1層低める伝声管撤去 砲塔形式の12.7cm砲3門は全て撤去され45口径三年式12cm砲(通称G型砲)に換装された。これを開放式盾の付いた単装砲架艦首に1基、船体中央部(2番発射管跡)に1基、後部甲板上に1基の計3基を搭載した。この改装により砲熕兵装重量74トンから52トン減少した。なお「千鳥」「真鶴」のG型砲は旧型の盾を装着している。 魚雷兵装53cm連装発射管 1基のみとなり予備魚雷廃止された。これにより魚雷兵装重量70トンから30トン減少した。なお発射管の防盾(シールド)は竣工時と同じ前面だけのままだった。 なお「日本駆逐艦オール大百科」ではマスト煙突短縮したとする。 これらの工事により復原性能は改善されたが兵装大幅に減少し排水量公試状態で815トン(計画)にまで増加速力28ノットまで低下した

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