紫雲丸事故
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紫雲丸事故(しうんまるじこ)は、日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船紫雲丸が1947年(昭和22年)6月9日の就航から、8年間に5度にわたって起こした事故の総称である。なお、そのうち2件は死亡者を発生させた。また、その中でも最大の被害を出した1955年(昭和30年)5月11日の5回目の事故を指す場合が多い。
注釈
出典
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、76頁。ISBN 9784816922749。
- ^ “日本の重大海難(汽船紫雲丸機船第三宇高丸衝突事件) - 海難審判所ホームページ”. 国土交通省海難審判所. 2018年9月24日閲覧。
- ^ 第三部 修学旅行そして紫雲丸乗船
- ^ 朝日新聞 1955年(昭和30年)5月13日付夕刊 3頁
- ^ 瀬戸大橋30年:架け橋6橋、観光への恩恵と若者の流出も
- ^ 学校プールの共同利用と跡地活用の可能性 ―1学校に1プールを問い直す― 南学(東洋大学投稿論文)、2022/5/21閲覧
- ^ 第22回国会 参議院 文教委員会 第4号 昭和30年5月14日第22回国会 衆議院 文教委員会 第31号 昭和30年7月29日第22回国会 参議院 文教委員会 第27号 昭和30年7月30日
- ^ 愛媛新聞松山版 1997年(平成9年)8月29日付「松山・わすれかけの風景」
- 1 紫雲丸事故とは
- 2 紫雲丸事故の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
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