紫雲丸事故とは? わかりやすく解説

紫雲丸事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 00:21 UTC 版)

紫雲丸事故(しうんまるじこ)は、日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船紫雲丸1947年(昭和22年)6月9日の就航から、8年間に5度にわたって起こした事故の総称である。なお、そのうち2件は死亡者を発生させた。また、その中でも最大の被害を出した1955年(昭和30年)5月11日の5回目の事故を指す場合が多い。


注釈

  1. ^ 昭和35年8月29日 高等海難審判庁第二審の裁決理由による。
  2. ^ 「男子生徒はほぼ全員が甲板におり、女子生徒も最初は甲板にいたが、しばらくしてから多くが客室に戻った」と愛媛県庄内小学校の生存者は証言している[3]
  3. ^ 十河は戦前からの改軌論者として知られ、総裁就任後は新幹線計画を強力に推進したことから、「新幹線の父」と呼ばれることとなる

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