竜神伝説とは? わかりやすく解説

竜神伝説

作者奥沢

収載図書大姫と義高
出版社文芸社
刊行年月2008.2


竜神伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 09:46 UTC 版)

桜ヶ池 (御前崎市)」の記事における「竜神伝説」の解説

平安末期1169年6月13日比叡山皇円阿闍利が、567000万年後に現れるという弥勒菩薩教えを乞うと言い残し、自ら桜ヶ池の底に沈んで竜神大蛇となった以降秋の彼岸中日には赤飯詰めたお櫃を池に沈めて竜神供える奇祭お櫃納めが行われている。数日後には空になったお櫃浮いてくると言われ遠州七不思議ひとつになっている。 桜ヶ池沈めたお櫃が、同じく竜神伝説の残る長野県諏訪湖浮いたことがあるとされ、諏訪湖地底つながっているという言い伝えがある。これに関連して静岡県浜松市池の平では7年周期で池(幻の池)が湧くという不可思議な現象が起こるが、これは桜ヶ池竜神諏訪湖赴く際に休息するためであるという言い伝えがある。

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竜神伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 22:50 UTC 版)

縄ヶ池」の記事における「竜神伝説」の解説

平安朝の昔、俵藤太秀郷という武勇誉れ高い武将がいた。ある時、近江国勢田60メートルほどもある大蛇横たわり往来妨げていた。そこへ通りかかった藤太は少しも恐れずに、大蛇踏んで渡ったその日の夜、美しい女がやってきて、「私は琵琶湖に住む竜神化身です。今日あなたにお目にかかり、その豪胆さを見込んでお願い伺いました三上山ムカデが、私の仲間次々食べてしまうので困ってます。どうか退治してください」と話した藤太竜神頼み快く引き受けすぐさま山に赴いて五人張りの弓でムカデ射殺したお礼にどんな願いでも叶えるという竜神申し出に、藤太城端の里を水不足から救うため、竜の子を貰うことにした。 里に戻った藤太が、山中掘った小さな穴に竜の子入れ、縄を張りめぐらして祈ったところ、一夜のうちに池が湧き出し、その池が縄ヶ池であるという。

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龍神伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 19:09 UTC 版)

龍穏寺」の記事における「龍神伝説」の解説

龍穏寺には、以下のような伝承がある。 伝承(1)現在の龍穏寺建っている場所には、深い淵があった。そこには龍が住み人々はこれを恐れていた。 第五住職雲崗舜徳がこれを退治すると、淵からがあふれ平地となった人々はこの平地開墾し寺を移転した。またその時寺名龍穏寺改めた。 このベースとなる伝承付随して太田道灌雲崗舜徳を招いた」「龍退治の後、雲崗舜徳が住職となった」「龍は有馬山埼玉県飯能市)に逃れ大池作った」「龍は龍神となり、雨乞いをすると有馬山より飛来し降らした」などの逸話がある。また、この伝承は(この類の伝承としては比較珍しく成立の年が複数史料明記されている。ただし、1439年龍穏寺縁起)だと〈太田道灌7歳雲崗舜徳:1歳〉、1504年新編武蔵風土記稿)だと〈太田道灌死去雲崗舜徳:既に他寺の住職〉となり、いずれも成立しない。そこでこれら複数史料統合すると、ほぼ明確な史実としては下記のものが挙げられる15世紀後半頃までには、寺が曹洞宗改まった第五住職雲崗舜徳の就任前後して、寺が現在地移築された。 太田道灌太田道真雲崗舜徳に帰依師事)していた。 何らかの龍退治伝説存在していた。 このことから、龍穏寺改宗移築に際して新興勢力であった曹洞宗在来伝承取り込み地域溶け込んでいった過程成立した伝承だと推測される

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龍神伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 04:28 UTC 版)

龍神社 (大阪狭山市)」の記事における「龍神伝説」の解説

狭山池に住む雌の大蛇粟ヶ池富田林市)に住む雄大に恋をした。狭山池の雌大蛇雄大が住む粟ヶ池毎晩通っていたが、通り道田畑荒れ、人や牛は吞み込まれる被害絶えず、皆困り果てた村人龍神退治しようとも考えたが、祟りあってはならないとして、雄大粟ヶ池から狭山池迎え入れ、雌大蛇結婚して一緒に暮らしてもらう事とした。狭山池に祠を建て、その後祭祀絶やさないことで、田畑荒れことはなくなった。 結婚後幾月日かたったある日河合松原市)に住む男の夢に美しい男女の若者現れ、「自分たちは狭山池に住む大蛇で、池の祠で幸せ暮らしている。しかし池だけの生活は息苦しい。ここに私達の祠を建てて、広い大和川まで行けるようにしてほしい。」と話した。男は2人約束したものの夢か幻かわから迷っていたが、数日後に男が井戸から不思議なお金見つけた。夢ではなかったと悟った男は、早速に祠を建てた龍神夫婦は、池干し中は西除の滝つぼ移り、池のがたまると池に戻っていた。西除を中心とする安政大改修滝つぼ埋め工事けが人続出し龍神祟りだと恐れられた。1858年安政5年)に滝つぼ代わりとなる大きな淵を掘って祠を池中祭った。これにより池干し中も龍神は淵の底にたまったに住むことができるようになった

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龍神伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 15:24 UTC 版)

松尾観音寺」の記事における「龍神伝説」の解説

応永10年5月4日ユリウス暦1403年5月24日)、本堂から出火すると近く二ツ池から雌雄の龍が現れ、雄の龍が火の中から十一面観世音救出し、雌の龍が吹きかけて消火活動行った大火から龍神観音守ったとの伝説から、毎月末には僧侶龍神好物という酒と卵を供えるこの伝説をきっかけに、伊勢写真家中野晴生は北海道から沖縄県まで全国50湖沼とそれにまつわる説話集め写真集湖沼伝説』を新潮社から2000年平成12年)に出版した1982年昭和57年)、上記の龍神伝説にちなみ、紅白キリシマツツジ300本を龍の形に植えた毎年春に先行して咲く赤い花を追うように白い花が咲く。 2006年平成18年)頃には本堂床板から龍のような模様発見され参拝者の間で「一目見て触れると願い叶う」などと話題となり、新たな龍神伝説が生まれた

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