皇円
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:47 UTC 版)
皇円(こうえん)は、平安時代後期の天台宗の僧侶である。正字では皇圓。熊本県玉名の出身で肥後阿闍梨とも呼ばれ、浄土宗の開祖法然の師でもある。王朝末期に成立した、編年綱目の体裁を採る国史略のうち『扶桑略記』を撰した[1]。浄土宗の僧で、多念義を主張した隆寛は甥である。
- ^ ほかに『日本紀略』(編者未詳)、『帝王編年記』(永祐編か)。
- ^ この項は、大半の記述を望月信亨編『仏教大辞典』第一巻 p.1026の皇円の項によっている。
- ^ 皇覚については記録があり、仏教大辞典にも記述されるが、成円については記録がなくよく分かっていない。
- ^ 著者が皇円であるということは、鎌倉後期に編まれた『本朝書籍目録』によるが、別の著者とする説も最近出されている。著者についての議論は、平田俊春『日本古典の成立の研究』「第二篇 扶桑略記を中心として」(日本書院、1959年)、あるいは堀越三信「扶桑略記」(皆川完一・山本信吉編『国史大系書目解題』吉川弘文館 2001年)などを参照されたい。
- ^ 佐賀県東妙寺にある永仁6年(1198年)に書かれた「東妙寺文書」に、肥後玉名の浄光寺のことが書かれている。
- ^ 『肥後國誌』(森本一瑞遺纂、水島貫之校補、後藤是山編纂、九州日日新聞社、1916年(大正5年)7月)。肥後國誌は江戸時代に編纂された熊本に関する歴史書で、玉名市築地については浄光寺跡、妙性寺跡、地蔵堂、五輪塔二基、南大門、などの記述がある。pp. 613–614。
- ^ この霊告は、川原是信の霊能による密教的感得であり、当然ながら公的な文書など第三者による証拠はなく、寺伝等に依らざるを得ない。川原真如「龍神の説法」、参照。同寺機関紙「大日乃光」等参照。
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