生い立ち: 1953-1978とは? わかりやすく解説

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生い立ち: 1953-1978

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:39 UTC 版)

アラン・ムーア」の記事における「生い立ち: 1953-1978」の解説

1953年11月18日生まれる。共に暮らす家族醸造所勤める父アーネスト印刷労働者の母シルヴィア、弟、そして迷信深いが威厳あるヴィクトリア朝風の女家長こと母方祖母だった。労働者階級一家は、ムーア信じところによると代々ノーサンプトン住んでいた。父方の祖母産婆葬儀屋役割兼ねる "deathmonger"(→死売り)と呼ばれる女たち一人だった記録残っている。放蕩者だった父方曾祖父カリカチュアを嗜んでおり、パブ描いて支払い代わりにしていたという。それを除けば芸術文学とは無縁家系だった。 生まれ育ったノーサンプトンの「バロウズ地区英国でも有数貧困地区で、公共サービス乏しく非識字率も高かったが、その住民コミュニティには愛着持った。幼いムーア金銭的な豊かさより優先すべきものがあると教えられていた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}バロウズ自分誇りを持つには、まっとうな人間であるしかない横暴な奴に立ち向かうしかない。それは子供のころの私に深く刻み込まれた。人生指針としては悪くない。 —アラン・ムーア2012年研究者ジャクソン・エアーズは、ムーア労働者階級育ち通じて共同体主義個人対等自主自律感覚バランスよく身に着けと書いている。 5歳で読むことを覚え地元図書館から本を仕入れたSF魔術ファンタジー神話伝説のように現実から離れたジャンル好んでいた。初等学校入学するころコミック読み始めた初めは The Topper や The Beezer のような英国週刊コミック誌 だったが、やがて貨物船底荷として米国から流れてくる『フラッシュ』『ディテクティヴ・コミックス』『ファンタスティック・フォー』のようなヒーローコミックを漁るようになった英国片田舎での暮らし比べれば、それらに描かれる大都市未来世界のようだった。自身でもそれらを真似た作品描き始め友人回覧して小銭集めて子供支援団体募金したという。 初等教育終わりイレブンプラス英語版試験合格しグラマースクールへの入学資格得た。そこで教育の高い中流階級初め出会い初等学校トップ成績だったのが最底辺になったことを知って衝撃受けたその後学校を嫌うようになり、勉強にも興味持てず公教育には子供規則順守服従、退屈への順応教え込むための隠されカリキュラムがあると考えようになった1960年代後半から黎明期のコミックファンジンで詩やエッセイイラストレーション発表し始めファン活動通じてスティーヴ・ムーア(英語版)(血縁なし)など後の共作者の多く知り合った。また自身でも学校で詩の同人誌 Embryo(→胚、萌芽)を発刊したムーア人格形成には1960年代のカウンターカルチャー深く根差しており、この時期作品にも英国アンダーグラウンド雑誌Oz英語版)』の影響強かった1971年ヒッピー文化に交わる中で覚えたLSDを持ち込んだことが元でグラマースクール放校された。校長ムーア在校生風紀悪影響与えるから入学させないようにと近隣の学校通達出したという。 LSDは素晴らし経験だった。人に勧めるつもりはないが、私にとっては、なんというか、現実確定したものではないという考え叩きこんでくれた。いつも見ている現実一つ確かな現実だが、それがすべてではない。まったく違うものが同じくらい確かな意味を持つような、異な視点存在する。そう知ることで私は根底から変わった。 —アラン・ムーア2003年) それから数年間はトイレ清掃や皮なめし工の仕事しながら実家暮らしたこのころEmbryo通じて加入したノーサンプトン・アーツ・ラボ(英語版)の活動数少ない他人との交流機会だった。アーツ・ラボはジャンル問わず芸術家交流する全国的なカウンターカルチャー運動で、ノーサンプトングループせいぜい数十人の無名集まりにすぎなかったが、ムーアはそこで作詞劇作演技に目を開かれた。特に詩の朗読には自身でも天分感じた。これらの経験は後の執筆公演活動基礎となった1970年代にはファン活動に熱心ではなくなっていたが、ヒーローコミックは読み続けていた。多く凡作だと感じたものの、ジャック・カービーの「フォースワールド(英語版)」やフランク・ミラー期の『デアデビル』には引きつけられた。それ以上熱中したのはユーモア誌『MAD』や、アート・スピーゲルマンとビル・グリフィス(英語版)による Arcade: The Comics Revue 誌だった。後のエッセイでは同誌をアンダーグラウンド・コミックスというそもそもの思想のほとんど完璧な到達点と呼んでいる。 1973年終わりに同じノーサンプトン生まれのフィリス・ディクソンと交際始め市内アパート同棲したその後すぐに結婚してより広いアパート移りガス委員会英語版)の下請け会社事務仕事をした。しかし仕事に満足できず、芸術的な活動生計立てよう考えた1977年秋にフィリス妊娠すると、赤ん坊の顔を見ると決心が鈍ると考えたムーア勤め辞めてコミックを描くことにした。

※この「生い立ち: 1953-1978」の解説は、「アラン・ムーア」の解説の一部です。
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