流鏑馬
流鏑馬祭り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:25 UTC 版)
「冨士山下宮小室浅間神社」の記事における「流鏑馬祭り」の解説
山梨県無形民俗文化財に指定されている。 例祭は9月19日に行われ、「馬蹄占(ばていうらない)」をする流鏑馬神事が有名である。地元では「うまっとばかし」(馬をとばす(甲州弁)=馬を走らせる(標準語))と呼ばれる。 長寛2年(1164年)中興馬乗りから始まったとされ、流鏑馬祭をすることが定められたのは安元2年(1176年)という。 朝馬、夕馬、切火などの流鏑馬祭の法式が定められたのが建久3年(1192年)、毎年9月19日に行う事が定められたのが永亨12年(1440年)と伝わる。 境内では流鏑馬に使う神馬が飼育されている。この馬は日本中央競馬会から奉納されたものである。 この例祭は一般的に知られる流鏑馬と異なり、農耕信仰及び土地の人々に密接した変わった流鏑馬神事で、世襲の「占人(うらびと)」が馬の足跡によって吉凶を占う「馬蹄占(ばていうらない)」、様々なことに神意を伺う為に引かれる「神籤(みくじ)」、「切火(きりひ)」と呼ばれる一週間に渡り身を清める潔斎が特徴的である。 流鏑馬の馬は、氏子が馬主になって奉納するのが決まりであり、祭りは1月15日筒粥祭明けの馬主・奉仕馬申込と選定「馬出しのくじ占」から始まり、9月1日の「初馬揃」9月9日「中馬揃」9月13日「潔斎始」9月15日「後馬揃」9月18日「天神社への参向ならびに天神社山王祭」「例大祭宵宮祭」9月19日「例大祭流鏑馬祭」9月20「後祭」以降、各町「お日待ち・秋葉講」と神事が続く。 かつて、自家で馬を飼育していない家では、馬を飼育する地内の家や他村の農家などに依頼し祭礼の期間だけ馬を借り受けていた。時代の流れと共に、馬を飼育している家もなくなり、現在では神社で馬を飼育して使用している。 かつては、富士山登山門と馬返しまでの概ね中間にあたる中の茶屋の近くにあった「騮ヶ馬場」 で行われていた。戦国時代ごろは河口湖と吉田の中間地点「長馬場」で近隣諸社合同行われていた。 神社に伝わる話によると、流鏑馬の主導を巡り村間の争いが激しくなっていったため、享禄3年(1530年)に武田氏の家臣である板垣信賢(※板垣信方のこと)の達により、各々の村で奉納されるようになったと云う。 現在の馬場「本町中村馬場」は江戸時代後期には既に使われていたことが嘉永元年(1848年)の「9月19日祭礼絵図」により分かっている。 2007年(平成19年)に、担ぎ手が不足し途絶えていた富士山神輿が半世紀ぶりに復活し、9月18日の宵祭りに神輿巡行が行われている。 馬出しの神籤祭 1月15日早朝、筒粥祭の占いの結果が公表された後に、流鏑馬祭奉仕希望者の申込が行われ、正午から神事による奉仕馬のくじ引きが行われる。かつては6頭と定められた奉仕馬に、30から60頭もの申し込みがあった。その家から流鏑馬の奉仕馬・馬主を出すことは大変な名誉であった。近年では、定数以上の奉仕馬の申込が無く申込の受付のみで祭儀は行えていない。 初馬揃祭 9月1日、例大祭に出る馬は全て神社に集まり、神事が行われる。各馬主は稽古鞍授与の神籤を引き、占人より稽古用の馬具一式を受け取る。その後、馬場見せ・馬場ならし・馬駆けを行う。(現在は、神社飼育の神馬で境内の馬場で練習等が行われている) 中馬揃祭 9月9日、奉仕馬が集まり、神事の後、馬場ならし・馬駆けを行う。 潔斎始祭 9月13日、神事にて、木花咲耶姫命の御姿の軸、御幣などが授与される。流鏑馬馬主・奉仕者はこの日より神社境内の潔斎館に移り住み精進潔斎の生活に入る。かつては各馬主の自宅で行われており、妻をはじめ、奉仕者以外の家族全員を親戚縁者の家に出し、木花咲耶姫命の御姿の軸を祀った祭壇を設けて家を清め奉仕者や助勤者のみで男所帯の共同生活が行われていた。 後馬揃祭 9月15日、各馬主は神馬の装飾を授与され、神事にて流鏑馬本番に使用する本鞍を選ぶ神籤を引き、結果によって占人よりそれぞれ本番用の馬具一式を受け取る。 山王社宵宮祭 9月17日、馬主・奉仕者は山王社に参拝し弓取の儀が行われて、占人から儀式の伝授をうける。 山王社祭・流鏑馬祭宵宮祭 9月18日、日中小室浅間神社より神職・占人・馬主・奉仕馬等、流鏑馬に関係する諸人が行列を組んで山王社への参向が行われ、富士山神輿が巡行する。 その夜、宵宮祭が行われ、神籤により馬主ごとに「朝馬」「夕馬」の役馬の担当と神馬を走らせる順番が決められる。 祭礼を通して馬具は「占人」が管理しており、馬の額を飾る「オテンゴー、御天狗」は馬の鬣(タテガミ)を組紐で編んだもので、馬形埴輪の額に付された角状の飾りを継承したものと考えられており、祭礼当日早朝に「占人」が整える。 例大祭流鏑馬祭 9月19日、神事で矢、弓、的が馬主に渡され、「朝馬」「夕馬」の順番で流鏑馬をし、足跡による占い「馬蹄占」が行われる。最後に「山王さん(山王馬)」のノッパライ(乗り払い)が行われる。これは秋の収穫を見届けた山の神をヤマ(富士山)に送っていくからという。18日の「天神社への参向ならびに天神社山王祭」を行う下仲「天神社(山王社)」の伝承に「下宮の馬場をひと馬場借りて、山王さんのウマットバシをする」とあり、山王馬のノッパライとの係りが推測される。 流鏑馬後祭 9月20日、流鏑馬「馬蹄占」の結果が報告され、ただちに各町に伝えられる。 お日待ち 流鏑馬祭りが終わると、各町内に神職を招き「馬蹄占」の結果をもとに「お日待ち」と呼ばれる祭事を行う。 小さなものでは近隣10軒くらい、大きなものでは自治会単位で食堂や個人宅、自治会館に集まり、祭神の掛け軸を飾り祭壇を設え、飲食を共にする。 各家庭では、その後に神職から紙垂を1枚戴き、一年間火事や争い事がなく無事に過ごせるよう祈願する。 戦前までは朝まで寝ずに談話して過ごし、日の出を拝んで解散していた。
※この「流鏑馬祭り」の解説は、「冨士山下宮小室浅間神社」の解説の一部です。
「流鏑馬祭り」を含む「冨士山下宮小室浅間神社」の記事については、「冨士山下宮小室浅間神社」の概要を参照ください。
- 流鏑馬祭りのページへのリンク