流鏑馬祭りとは? わかりやすく解説

流鏑馬

(流鏑馬祭り から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/11 00:21 UTC 版)

流鏑馬(やぶさめ、異表記: 鏑流馬)は、日本の古式弓馬術(伝統的騎射術)である[1][2][3][4]武家社会で行われた騎射の一種で、馬術弓術を組み合わせたもの[5]




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流鏑馬祭り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:25 UTC 版)

冨士山下宮小室浅間神社」の記事における「流鏑馬祭り」の解説

山梨県無形民俗文化財指定されている。 例祭9月19日行われ、「馬蹄占(ばていうらない)」をする流鏑馬神事が有名である。地元では「うまっとばかし」(馬をとばす(甲州弁)=馬を走らせる標準語))と呼ばれる長寛2年(1164年)中興馬乗りから始まったとされ、流鏑馬祭をすることが定められたのは安元2年(1176年)という。 朝馬、夕馬、切火などの流鏑馬祭の法式定められたのが建久3年(1192年)、毎年9月19日に行う事が定められたのが永亨12年(1440年)と伝わる。 境内では流鏑馬に使う神馬飼育されている。この馬は日本中央競馬会から奉納されたものである。 この例祭一般的に知られる流鏑馬異なり農耕信仰及び土地人々密接した変わった流鏑馬神事で、世襲の「占人(うらびと)」が馬の足跡によって吉凶を占う「馬蹄占(ばていうらない)」、様々なことに神意を伺う為に引かれる神籤(みくじ)」、「切火(きりひ)」と呼ばれる一週間渡り身を清める潔斎特徴的である。 流鏑馬の馬は、氏子馬主になって奉納するのが決まりであり、祭り1月15日筒粥祭明け馬主奉仕申込選定馬出しのくじ占」から始まり9月1日の「初馬揃」9月9日中馬揃」9月13日潔斎始」9月15日「後馬揃9月18日天神社への参向ならびに天神社山王祭」「例大祭宵宮祭9月19日例大祭流鏑馬祭9月20後祭以降、各町「お日待ち秋葉講」と神事が続く。 かつて、自家で馬を飼育していない家では、馬を飼育する地内の家や他村農家などに依頼し祭礼の期間だけ馬を借り受けていた。時代流れと共に、馬を飼育している家もなくなり、現在では神社で馬を飼育して使用している。 かつては富士山登山門と馬返しまでの概ね中間にあたる中の茶屋近くにあった「騮ヶ馬場」 で行われていた。戦国時代ごろは河口湖吉田中間地点長馬場」で近隣諸社合同行われていた。 神社に伝わる話によると、流鏑馬主導巡り間の争い激しくなっていったため、享禄3年1530年)に武田氏家臣である板垣信賢(※板垣信方のこと)の達により、各々奉納されるようになった云う現在の馬場本町中村馬場」は江戸時代後期には既に使われていたことが嘉永元年1848年)の「9月19日祭礼絵図」により分かっている。 2007年平成19年)に、担ぎ手が不足し途絶えていた富士山神輿半世紀ぶりに復活し9月18日宵祭り神輿巡行が行われている。 馬出しの神籤祭 1月15日早朝筒粥祭占い結果公表された後に、流鏑馬奉仕希望者の申込が行われ、正午から神事による奉仕馬のくじ引きが行われる。かつては6頭と定められ奉仕馬に、30から60もの申し込みがあった。その家から流鏑馬奉仕馬・馬主を出すことは大変な名誉であった近年では、定数上の奉仕馬の申込無く申込受付のみで祭儀行えていない初馬揃祭 9月1日例大祭に出る馬は全て神社集まり神事が行われる。各馬主稽古授与神籤を引き、占人より稽古用の馬具一式受け取る。その後馬場見せ馬場ならし・馬駆けを行う。(現在は、神社飼育の神馬境内馬場練習が行われている) 中馬揃祭 9月9日奉仕馬が集まり神事の後、馬場ならし・馬駆けを行う。 潔斎始祭 9月13日神事にて、木花咲耶姫命御姿の軸、御幣などが授与される流鏑馬馬主奉仕者はこの日より神社境内潔斎館に移り住み精進潔斎の生活に入る。かつては馬主自宅行われており、妻をはじめ、奉仕者以外の家族全員親戚縁者の家に出し木花咲耶姫命御姿の軸を祀った祭壇設けて家を清め奉仕者や助勤者のみで男所帯共同生活が行われていた。 後馬揃祭 9月15日、各馬主神馬装飾授与され神事にて流鏑馬本番使用する本鞍を選ぶ神籤を引き、結果によって占人よりそれぞれ本番用の馬具一式受け取る。 山王社宵宮祭 9月17日馬主奉仕者山王社参拝し弓取の儀が行われて、占人から儀式伝授をうける。 山王社祭・流鏑馬祭宵宮祭 9月18日日中小室浅間神社より神職・占人・馬主・奉仕馬等、流鏑馬関係する諸人が行列を組んで山王社への参向が行われ、富士山神輿巡行する。 その夜宵宮祭が行われ、神籤により馬主ごとに「朝馬」「夕馬」の役馬担当神馬走らせる順番決められる祭礼通して馬具は「占人」が管理しており、馬の額を飾る「オテンゴー、御天狗」は馬の鬣(タテガミ)を組紐編んだもので、馬形埴輪の額に付され角状飾り継承したものと考えられており、祭礼当日早朝に「占人」が整える。 例大祭流鏑馬祭 9月19日神事で矢、弓、的が馬主渡され、「朝馬」「夕馬」の順番流鏑馬をし、足跡による占い馬蹄占」が行われる。最後に山王さん山王馬)」のノッパライ(乗り払いが行われる。これは秋の収穫見届けた山の神ヤマ富士山)に送っていくからという。18日の「天神社への参向ならびに天神社山王祭」を行う下仲「天神社山王社)」の伝承に「下宮馬場をひと馬場借りて山王さんのウマットバシをする」とあり、山王馬のノッパライとの係り推測される流鏑馬後祭 9月20日流鏑馬馬蹄占」の結果報告され、ただちに各町に伝えられるお日待ち 流鏑馬祭りが終わると、各町内神職招き馬蹄占」の結果をもとに「お日待ち」と呼ばれる祭事を行う。 小さなものでは近隣10軒くらい、大きなものでは自治会単位食堂個人宅自治会館集まり祭神掛け軸飾り祭壇設え飲食共にする。 各家庭では、その後神職から紙垂1枚戴き一年間火事争い事がなく無事に過ごせるよう祈願する戦前までは朝まで寝ず談話して過ごし日の出拝んで解散していた。

※この「流鏑馬祭り」の解説は、「冨士山下宮小室浅間神社」の解説の一部です。
「流鏑馬祭り」を含む「冨士山下宮小室浅間神社」の記事については、「冨士山下宮小室浅間神社」の概要を参照ください。

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